神と罪のカルマ オープニングthird【01】




「休校?」
 いつもより客足の少ない土日と平日を乗り越えての水曜日。
 本日はグーテンタークの貴重な休日。いつも通り朋音との朝食を終えた後に私服に着替えて、彼女を仕事場へと送る準備をしていた。
 その流れの中で携帯にかかってきた一本の電話。
「今日は外に出るのダメなんだって」
 相手は本日の午後に遊ぶ予定である灯真。なんでも今朝方、学校が臨時休校になったとの連絡網が回ってきたらしい。
 連絡網では子供たちに向けて詳しい理由を話していない。ただ、外には出てはいけないとだけ伝えるだけ。
 しかし、仁樹は大人。携帯を片手に灯真と話しながらテレビの電源を付けてニュースにチャンネルを合わせる。
《――小学校の校門前にて連続犯罪者による被害者が横たわっているのを近所の住人が見つけたとのことです》
 予想通りといったところだろうか。先日、先輩と話していた迷惑な連続犯罪者がまたもや事件を起こしたようだ。
 テレビから伝わってくる情報だと、被害者は小学校付近に住む男子大学生。今朝のゴミ捨てのときに襲われたらしい。意識はあるが重傷だとのことだ。
《警察は引き続き調査を続けているとのことです》
 キャスターの一礼の後に、お決まりの占いコーナー。デカデカと画面限界までに広がるタイトルと番組マスコットキャラクターが笑顔で映し出される。
 陽気なBGMでさっきまでの重い空気を明るくしようとしているのかわからないが、空気が読めていないような気がしてならない。
「学校いきたかったなぁ……」
 携帯電話を通じて灯真の非常に残念がっている声が耳に入ってくる。
 普通、学校が休みになると大抵の子共は喜ぶのだが、灯真は逆に不満を持つ。
 学校とは多くのことに触れ、学び、人間関係を築きあげる場所。小学2年生にして学校というものに大人びた考えを持つ灯真にとって、学校が休むとはその機会が減るということに繋がるのだった。
「お兄ちゃんといっしょにあそびにいきたかった……」
 今回の場合は外にもいけないということで、学校が休みになっても喜べない子供たちも多分いるだろう。
 そもそも臨時休校中は外に出てはいけないはずなのだが……。
「決まったことは仕方ねェよ」
「うん……」
「博士は家にいるのか?」
「いるけど、ずっとへやの中にいるよー」
 仕事が立て込んでいるのだろうか。焼肉屋であった日も遅くまで仕事をしていたことを思い出す。
 立て込んでいるのなら酒を飲むな。疲れを癒したくても小さい子供がいるのだから飲むな。
 内心で髭面博士に悪態を付きながらも灯真の話に耳を傾き続ける。
 本人は無意識だろうが声がとても落ち込んでいる。学校には行けない。外にも出れない。博士は部屋に籠りっきり。
 これら3つも揃えば落ち込むのも無理は無い。下手したら、今日1日をあの広い家で一人っきりで過ごすこととなる。
 落ち込みを通り越して寂しいであろう。
 さぁ、ここで兄である自分は何をすべきか。
 そんなこと考えなくてもすぐにわかること。
「わかった。じゃァ、朋音を仕事場まで送ったら真っ直ぐにそっち行くわ」
 気取ることのない普通の言い方で。兄が弟に言う普通の言い方で。
「ふぇ?」
「いや、お前は外に出られないけど、俺が外に出ても問題ないだろう。約束通りに遊びに行く」
 あまりにも普通の言い方で自宅に来ると口にした兄に、拍子抜けな声を上げる弟。そんな弟に、また普通の言い方で理由を告げる兄。
 確かにその通りだ。その連絡は子供たちに対する警報であって自分への警報ではない。
 外に出るなと言われているだけで、今日一日遊ぶなと言われたわけではない。
「外には遊びに行けねェけど、それはまた今度すればいい。今日は大人しく家の中で遊ぼうぜ」
 それにいくら博士が自宅にいるとはいえ、閉じ籠ったままではまともに食事が出来ないであろう。
 料理人としては見過ごせない。
「それともなんだ?兄ちゃんには来て欲しくないのか?」
「そんなことない!」
 悪戯心の混ざった声でからかってみせると慌てた元気な声で返ってくる。
「きてくれるんだ!ほんとに、ほんとにきてくれるんだね!」
 嘘ではないようにと何回も確かめる弟の声に笑ってしまう仁樹。
「おう。それに喜べ灯真。午後だけだった時間が一日になったぞ。今日は遊び放題だ」
「うん、たのしみ!あ、そうだ。いまのうちにしゅくだいしておかなきゃ!」
「そうだな。俺が付く前に宿題は全部終わらせておかないとな。じゃないと、兄ちゃん遊んでやらねェぞ」
「ちゃんとやるもん!」
 必死に宿題をやることをアピールしてくる弟がとても面白い。
 一つ一つの言葉に相槌をうち、部屋に置いてある時計をみる。針は出かける時間の数分前を指している。
「灯真、兄ちゃんもう出掛けなきゃいけねェ時間になったから電話切るな」
「はーい。わかったー」
「玄関の鍵しっかり閉めておくんだぞ。誰がきても博士に言って博士に出てもらえよ」
「はーい」
「それじゃァな」
 元気な返事は宜しいことで。電話をかけてきたときとは違う明るい声を最後に聞いて電話を切る。
「仁樹君、お兄ちゃんやってますね」
 切り終わると後ろの方から朋音が話しかけてきた。仕事へ行く準備ができたのであろうと振り向く。
 膝上までの青いスカートに白いブラウス。その上に淡いピンク色のトレンチコート。
 しかし、それよりも先に目がいったのは誰もが振り向く整った顔をより綺麗にした彼女の微笑み。
「今日もよく似合ってる。綺麗だ」
「えへへ~、ありがとう。今日も仁樹君はカッコいいです」
「ありがとう」
 決してお世辞などではない。純粋に、心から感じたものを言葉としてを互いに送り合う。
 軽さなどそこには無い。互いを愛し合う重さ。例え、バカップルなどと言われても止めることはない。
「灯真君からだよね?臨時休校になったって聞こえたよ」
「あァ。どうやら大変なことがあったらしい」
 そういってテレビを消そうと再びテレビの方へ視線を向ける。途端、しまったと仁樹は思った。
 画面には先ほどの事件を再び伝えているキャスターと事故現場の映像が映し出されている。
 すぐにリモコンに手を伸ばし電源を切る。だが、遅い。
「また、事件が起きちゃったんだね……」
仁樹が振り返る。そこに立っていた彼女は、〝どうしようもなく傷付いた顔〟で先ほどまで電源が付いていたテレビを見ていた。
 いまにも泣きそうな声で。悲しそうに。朋音は画面が消えたテレビを見続ける。
 何故、自分はテレビを付けっぱなしにしたのか。仁樹の胸に後悔が押し寄せてくる。
「わりィ……」
「ううん。仁樹君は何も悪くないの。こちらこそごめんなさい。仁樹君に迷惑かけちゃって」
「迷惑なんて絶対に思わねェ」
 自分が犯した失敗を悪くないという彼女。そんな彼女を優しく抱きしめる。
 彼女の不安が、悲しみが少しでも和らいで欲しいと自分の鼓動を聞かせながら抱きしめる。
「……ありがとう。本当にありがとう」
 朋音もその腕を仁樹のへと回す。彼の自分への愛を感じながらそれに感謝して抱き返すのだ。
「朋音は何も悪くない、悪くねェよ……」


 彼女は、『世界を愛している』―――。
 使命や運命などの言葉では表せないぐらいに。自分の全く知らない存在にもその瞳から涙を流す。
 その為、極力、事件など人が傷付いたニュースを彼女の耳に入れないように常に気を配っていた。
 いたのに。気が緩んでいた、と仁樹は自分を責める。

 世界を愛することをやめれば傷つくことはないのに―――。
 それは彼女自身が最も分かっている。だが、やめることをしなかった。
 やめられないのだ。
 人が呼吸をするように。自分に聞かせてくれる心臓の動きのように。
 人間が生きていくために意識的ではなく無意識に身体が動くように。

 彼女の本能が止めようとしない。

 美しくも己の身を亡ぼす可能性を持った愛―――。

「俺は朋音に壊れてほしくない。ずっとそばで笑っていてほしい」
「私も、仁樹君には笑っていてほしい。何処にも行ってほしくない」
 その世界の中で自分が一番だと、何よりも誰よりも自分よりも愛していると伝えてくれた彼女。
 一番の愛を自分に捧げてくれた朋音。だから傷付けたくはない。失いたくもない。
 彼女が愛する世界を裏切ってでも、嫌われても、彼女を愛していくと決めた。
「お前が愛してくれるのなら俺は生きていける。どんな過酷なことが襲い掛かっても生きていくことを貫いていく」
「あなたが愛してくれるのなら私は生きていける。どんな辛いことがあっても生きることを大切に想い続けることができる」
 二人がそろっていないと生きてはいけない。
 お互いの愛がお互いを支える。お互いの愛がお互いを求める。
「同じだね」
 自分を見上げて微笑む彼女。先ほどの憂いに表情は消えていた。
 彼も口元を上げ、ほほ笑み返す。
「さァ、いこうぜ。仕事に遅れちまうぞ」
「そうだね。今日も一日頑張らなきゃ」
 少しだけ名残惜しそうにしながらも離れて、玄関へと向かう。
 先に仁樹が靴を履き、続けて朋音が履く。
 先月、一緒に出掛けたときに彼女にプレゼントしたブラウンの靴。
 彼女は踵の高い靴を好まないので、踵がペタンとなっている靴である。
「毎日履いてくれてるよな、それ」
「だって、仁樹君が選んで買ってくれたんだよ」
 だから、履いていくの。
 その言葉だけでも心が温まる。それは彼女が心から伝えてくれる言葉だから。
 立ち上がろうとする彼女に手を差出し、仁樹の手に朋音の手が重なる。
 立ち上がるのを手伝い、そのまま指と指を一本一本を絡ませるように繋ぐ。
 扉を開き、外の世界へと一歩踏み出す。雨はやはり降り続いている。
 続いて出てくる朋音から傘を受け取り歩いていく。

 雨の中、傘が一本。人は二人―――……。







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