神と罪のカルマ オープニングforth【08】
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「自分を嫌いになったことはないか?」
「え……?」
男性特有なその手で、さっきまで呼んでいた本を閉じた。
夕日が差し込む学校の図書室。そこは閉じた時の音がはっきりと聞こえる程、静寂に包まれていた。
殆どの席は受験生に占領されていて、ノートの上を走る鉛筆の音やページをめくる音がかすかに聞こえるぐらいだ。
そんな多くの人が口を開かない世界の中。部屋の端、本棚に隠れていて入り口からも死角である場所に二人はいた。
仁樹と朋音。
机は無い。ただ椅子のみが二つ並んでいて、二人は座っていた。
「どうしたの?」
「質問に質問で返すのはあまりよくねェぞ」
「ごめんなさい……」
しかし。突然そのような質問をされれば、彼女のように聞き返してしまうこと無理のないこと。
だが、朋音は言い返すことなく素直に謝った。
そんな彼女を視界に入れながら、閉じた本を片手に立ち上がり、目の前にある本棚へと近づく仁樹。
読んでいた本を元の場所に戻そうとしているのだろう。もう片方の手で本棚に並ぶ背表紙たちをなぞっている。
「……」
「……」
暫しの沈黙。
図書室の端、死角ということもあって、彼らの空間に足を踏み込み入れる者たちはいないに等しい。
背表紙と指の間に起きるかすれた小さな摩擦音以外に、二人が生み出す音は無い。
本棚の前で探し続ける仁樹。その後姿をただぼーっと見つめる朋音。
二人して沈黙が辛い性格では無かった。
このまま仁樹が場所を見つけ、また新たな本を手に取ってしまえば、先ほどのような読書という沈黙の世界が訪れるだろう。
だが、―――。
「……いや、その」
「はい……?」
沈黙を破ったのは仁樹だった。
背を向けながら、「えーと」や「あー」などと言葉を選ぶように、話を続ける。
「さっき読んだ本に、それ的なことが書かれててな……、で、その、気になったわけだ……」
「さっきのって、あのファンタジーものの?」
「そうだ」
この時の仁樹はよく本を読んでいた。色々な種類の本を読んでいた。
もしかしたら、世間で言われる活字中毒、愛書家の部類に入るのではないだろうか。
教室で人と関わっている以外では、彼はいつも本の世界に入り込む本の虫状態になっていた。
「仁樹君も本に影響されたりするんだね」
「影響……、というよりは切っ掛けかもな」
「切っ掛け?」
ようやく元の位置を見つけ、そこにピタリとはまるように本を置く。
そして、そのまま新たな本を探すことも無く、自分が座っていた椅子に座りなおした。
「前に、世界を愛してるって言ったよな」
「うん」
「世界って、色んな物の事だろう?」
「……うん」
「その時から思ってんだと思う」
世界を愛しているお前は、お前自身を好きでいるのか―――?
「嫌いか……」
自分が好きか嫌いか。
誰もが生きていく人生の中で一度は考えたことはあるのではないだろうか。
考え、矛盾していくものではないだろうか。
傷付きたくない。無力すぎるのが嫌だ。面倒なことをしたくない。普通すぎる自分が情けない。
自分が好きで嫌い。
「私は……」
隣に座る彼女が問いに答える。
「私は自分が大っ嫌いだよ」
「……」
「自分勝手で、泣き虫で、力が無いからって理由で皆に頼りっぱなしで。
そのくせ口だけはギャーギャー言ってる……。本当に最低な人間だよ……」
それは、あまりにも普通で、独り言で、淡々と話していく。
「理性でこの想いを止めればいいのに。抑えればいいのに」
視線を真っ直ぐに、仁樹へ向けることは無い。
「それが出来ない、しようとしない」
ふっと気付けば、彼女の手に力が入っていた。
服に食い込む、皺を、悔しさを表すものを作る。
「そんな自分に腹が立つの」
「それは……、仕方ねェことなんじゃ……」
「仕方が無いで終わらせて……、それが、みんなに迷惑を駆けてる理由にはならない……」
「……」
仁樹の腕が宙に浮かぶ。
慰めようと思った。こんな話題をしてすまないと謝りたかった。
しかし、それは彼女に触れることは無く、まるで自分にはそんな資格がないというように静かに手を戻すことになる。
「わりィ……」
触れることが出来ないなら、せめて言葉だけでも。
口にした短い謝罪の言葉。そんな言葉に彼女はゆっくりと首を振る。
「こちらこそ、ごめんなさい。仁樹君が悪いわけじゃないの。勝手に悔しがっている私が悪いだけだから……」
ちらりと、視線を彼女の方へ向けた。
彼女は、やはり視線を交わらせることなく真っ直ぐ、だが、映るものを認識していないような瞳をしていた。
「本当に、大っ嫌いだよ……」
再び口を開いた。
「わがままだらけで、何も出来ない自分が……」
いつもの慈愛も何もない、どうしようもない自分に向けるその顔で。
「こうやって、人に言っちゃうズルい自分が、『大っ嫌い』だよ……」
「……」
世界を愛しても、自分自身を愛せない彼女に。
仁樹は何と言えば良かったのだろうか。
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