神と罪のカルマ オープニングfifth【03】



「ッつ!? ……あ」
「オイオイ。仁樹、さっさとサビオ貼って来いよ」
「……」
「ワリぃ、絆創膏。バンドエイド。 」
 久々に北海道の単語を聞いて驚いた仁樹であった。
 しかし、ここ料理店、グーテンタークに働き始めて早数年。慣れという油断からか、人参の皮むきの途中で指を切るとは情け無い。
 内心ショックを受けながら、仁樹は調理場を離れる。
 食べ物を扱う仕事であるため、衛生の関係上、怪我をしたら直ぐに休憩室にある手洗い場で血や汚れを洗い落とし、置いてある救急箱で手当てを行って戻る。
 基本、グーテンタークで怪我をした時の処理の方法と道筋である。
 ということで、仁樹は料理長に断ってから調理場を後にして休憩室に向かう。
 途中、ホールに目を向けと、そこには女の先輩がディナータイムの準備としてテーブルを拭いていた。
 今や人気の料理店、グーテンタークだが、今日も客の数は少なくなるのか、と考えるてしまう。
 人気であるがゆえに、いつも大勢いる客が減ってしまうことに気が滅入る。
 勿論、客が少ないからといって仕事が楽になるというわけではない。
 だが、また店長の発狂で体力が削られていくのかと考えると増々重い気持ちになってしまう。
「本当に、犯人ぶっ飛ばしてェ……」
 親指から流れる血を手で握って事務室の前にある休憩室に入る。
 早く絆創膏を貼って戻らないと先輩から蹴りを貰ってしまう。これ以上痛い思いはしたくないと手洗い場の蛇口を捻った。
「仁樹」
 すると、急に部屋の入口のほうから声を掛けられた。
 それは女性にしては低めの、アルトボイスの声であったため、すぐに誰であるか仁樹は理解し、顔をそちらに向ける。
「はい? どうしたんスか、店長」
 向かいの事務室のドアに寄りかかりながら仁樹の名を呼んだのは、このグーテンタークを仕切る女店長。
 そして、料理長の奥さんでもある。
「いま、忙しいか?」
「当たり前ッスよ。ディナータイムの準備中なんスから」
 何を当たり前の事を言うのだろう。疑問になりながらも、手に着いた水を怪我した用のタオルで拭き、救急箱を取り出すために棚に近づく。
 ここで、立ち止まって聞いていては、帰った時に蹴りだけでは済まされない。
「わかった。なら、旦那とあいつには私から言っておこう」
「何をスか?」
「30分近く仁樹は調理場に戻れない、と」
「はァ?」
 なんで、わざわざ? しかも、30分―――?
 まさか自分の怪我を心配して、と考えてみたが、それは無いとすぐに頭からその考えを消し去る。
 この女店長はそんな甘いことはしない。全員に厳しく、自分にも厳しくする、強く、信頼出来る人間だ。
 では、何故―――?
「焦っていたぞ」
「焦っていた?」
「お前の携帯に掛けないのは何か大変なことでもあったんじゃないか?」
「……!?」
 店長の言葉を一つ一つをヒントに。頭の中で絡み合った紐が解かれていく。
 店長が親指を立て、事務室の中を指差す。
「〝電話来てるぞ〟」

 その言葉に、指の怪我など一瞬にして忘れた。

 床を蹴って、事務室に飛び込むように入り込む。
 途中で、救急箱の中身が散らばったことも、店長が仁樹を避けてすれ違うよう休憩室に入ったことにも気付かずに。
 まっすぐ、手を伸ばして事務室に置かれてある真っ白の受話器を目指す。
 利き手は右手だが、すぐにと、慌てるように動いた身体は受話器を怪我をした左手で取った。
 真っ白な受話器が血で汚れていく。だが、いまの仁樹はそのことに全く気が付かない。
 握ることで怪我の部分が痛いはずなのに、まるで痛覚を忘れたように、受話器を耳に押し当てた。
「朋音!?」
 愛しい者の名前を呼ぶ。
《仁樹君……》
 受話器の向こう側からは、自分の名前を弱々しく呼ぶ朋音の声。
「何があった!? 怪我か!?」
 余裕すら感じさせない表情と声。
 それは、プライドより彼女への想いが上回っていることを同時に表していた。
《う、ううん……、そういうのではないの……。だ、だけど……》
 朋音には怪我がない。
 しかし、彼女から声で伝わってくる、『不安』や『恐怖』がただごとではないと感じさせる。
 いや、落ち着け―――……!
 仁樹は、まず自分を落ち着かせることを始めた。自分が焦っていては朋音は上手く話せないだろう、と。
 深く息を吸い、高まった心臓を落ち着かせる。同時に頭をも冷やす。
 焦りは禁物。混乱は身を亡ぼす。
 そう自身に語り掛けるように。落ち着きを取り戻す。
《仁樹君……?》
「……あぁ、大丈夫。落ち着かせただけだ。俺も、お前も一緒に落ち着こう」
《うん……》
 すると、彼女も深呼吸をしているのか、受話器越しに息を吸って吐く音が聞こえてきた。
 しばらく経つと、彼女から名前を呼ばれる。
「落ち着いたか?」
《うん……》
「何があった?」
 どうして、電話をかけてきたのか。
 いや、〝そんなことは分かっている〟―――。
 仁樹は分かっているのだ。
 ただ、『それ』が。
 頭に浮かぶ『それ』が〝真実にならないように〟。
〝現実にならないように〟、と願わずにはいられなかったのだ。
 ……だが、運命は残酷だ。
《……‶雨〟》
 世界は残酷だ。
《〝見えたの〟……》
「……!」
 受話器越しの彼女の声が、仁樹の耳の奥まで伝わってくる。
 落ち着きを取り戻したとはずの彼女の声が、また震え始める。
《雨の中で……、女の人が……、〝見えて〟、それで……!!》


 その瞬間―――、
 仁樹の‶目〟が変わった―――。







 もう一度言おう。

 世界は残酷だ―――。

 彼女の愛する世界は、自分勝手で理不尽で―――。

 残酷だ、と――――。








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