神と罪のカルマ オープニングsixth【02】



「そう言えば。焼き肉屋の件はすまなかったな」
「本当にな」
 場所は博士の自宅兼研究室。本日、仕事が休みである仁樹は、朝早く彼の元に訪れていた。
「あんたのせいで暫く酒を飲みたいとは思わなくなった」
「健康にいいではないか」
「思い出すだけで、吐き気が襲ってきそうだがな」
 そう言ってソファーに座ろうとしたが、分厚い本が大量に置かれていて座れるスペースが全くと言っていいほど無く、足下には字が書き連ねている紙が床にあっちこっちに広がっていて、見える床の色の面積が紙よりも小さい。
「コーヒー飲みたかったら勝手に飲んでくれ」
 家の主はまったく客人をくつろがせる気はないようで、自分だけ手元の資料を読みながら皮で出来た椅子に座っている。
 仁樹は仕方が無く、適当にそこら辺に置いてある分厚くて大きな本を壁側に積み重ね、それに腰を落とした。
 資料に目を通し、忙しなく万年筆を動かす髭面の眼鏡ワイシャツ白衣親父。通称、『博士』。
 名は、財峨健一(ざいがけんいち)。
 仁樹の専門医にして、灯真の父親にあたる人物である。
「ここ最近、忙しいんだな。博士」
「これでも、あらかた片付いてきてる……。すまん、そこの資料を取ってくれ」
 この状況で、粗方片付いているのか。
足の踏み場もない床から仁樹は指定された資料を拾い渡すと博士は短くお礼を言いながら受け取り、その資料を片手に持ちながら、傍らにあるノートパソコンにもう片方の手で文字を打ち込み始める。
「今日中で終わりそうなんだ。そうすれば、久しぶりの休日さ」
「おー。よかったじゃねェか」
「あぁ。久しぶりに灯真と何処かに出かけられる」
 休まずに手を動かしているが、その顔は一人の子を持つ父親そのものであった。
 数年前。彼は妻を亡くした。最愛の妻に、先に逝かれてしまった。
 灯真は、彼女の忘れ形見である。
 生前。弱っていく身体でありながらも、『母親』として最後まで灯真を守り、我が子に、夫に、そして仁樹に、『家族』という大切なものを教えてくれた。
 それは今でも彼らの心に残り続けている。
 父親として、兄として。彼女が残した愛しい子を、大切に育てていく。

「例の事件。感謝するぞ」
「事件?」
「連続犯罪者」
「……あぁ」
 その名前で、仁樹は先日、雨の中で行われた戦いを思い出す。
 あの時落とした傘は、男の脇腹辺りで寸止めした。元々、刺す気などさらさらなかったのだ。
 だが、犯人には絶大なる効果だったらしく、泡を吹いて気絶してしまった。
 その姿は情けないを通り越し、哀れとも思えるが、しかし、同情はしない。
 他人にした行為は、必ず自分に戻ってくる。犯人が感じた『死への恐怖』は、巡り巡って戻ってきた『恐怖』。
 彼が周りに与え続けた『罪』への『罰』なのだから。
「あの後、警察の嬢ちゃんが駆けつけたみたいだな」
「俺はすぐに帰ったから、直接には会ってねェけど」
「嫌われてるからな」
 事実を述べられた。
「というか。『嫌い』というよりは、『気にくわない』か……」
「どっちも一緒じゃねェか」
「いや。全く違うぞ。もし、警察の嬢ちゃんが『嫌い』であったのなら、お前とは一生会話なんてしないだろう」
「そうなのか? よく分かんねェな……」
「気持ちをよく理解しようとすることなど至難の業だ。それが自分であろうともな」
「理解、ねェ……」
 華花菜との会話を思い出す。
 世間では子供たちに「相手の立場になって考えろ」と教えている。しかし、それは大人にも言えることだ。
 大人になれば、相手の全てを理解できるか。いや、そんな訳が無い。
 相手の全てを理解することなど不可能だ。自分はどう足掻いても相手にはなれないのだから。
 完全なる理解は出来ない。ならば、常に考えなければならない。
「まー、警察の嬢ちゃんがお前を気に入らない理由は、なんとなくわかるけどな」
「女って理由であいつの地雷を踏んだからだろう?」
「いや、もっと子供染みたものだ」
「子ども?」
 まさか自分がずっと思っていた原因が、他者からしてみれば違うものであったとは。
本当に人の気持ちや考えは分からないものだ、と仁樹は素直に驚きを見せた。
 そんな仁樹を見て博士は笑いながらも「そのうち、分かる」と言い、手元の資料を捲って文字の列を目でなぞっていく。
「……ところでよ。博士」
「なんだ?」
 読むのは早い方らしく、すぐに読み終えた資料を傍らに置き、首に手を当てて音を鳴らす。
 デスクワークが続いているのだ。相当、肩が凝っているであろう。
「なんで俺は、あんたに感謝されないといけないんだ?」
「……あぁ。事件のことか」
 事件を解決出来たのは、朋音の『力』―――、『霊能力』によって見えた『未来像(ビジョン)』のおかけだ。
 仕事場にかかってきた朋音からの電話。あの時……、彼女は『最悪の未来像(ビジョン)』を見てしまった。
 雨の中、必死になって逃げる女性を捕まえ、心臓に目掛けて刃を振り落とす光景を――――……。
 人が死ぬ運命。それを回避するために仁樹は朋音と、飛田兄妹の四人で未来における殺人現場の場所を見出した。
 だから。あの事件は博士から頼まれたことでも、協力してもらってもいない。
「感謝することは間違ってはいないさ。間接的にも〝俺の息子〟の安全を守ってくれたということもあるしな」
「そういうことなら、俺は兄として当然のことをしただけだ」
「お父さーん、お兄ちゃーん」
 そこへ、黒いランドセルを背負った灯真がドアを開けて部屋へ入ってきた。
「よォ。ちゃんと飯食ったか?」
「うん! お兄ちゃんのごはんおいしかったよ」
「灯真。歯を磨いたか? 母さんにも挨拶をしたか?」
「したよー!」
 にっ、と白い歯を見せて笑う灯真。動く度にランドセルが揺れる。
「薬は大丈夫か?」
 博士はやっと椅子から立ち上がり、灯真のランドセルからぶら下がる巾着袋に近づき中身を漁り始める。
「薬が減っているな……。いま取って来るから待っていなさい」
「はーい」
 長時間のデスクワークで疲れた、重い腰を上げて薬を取りに行くべく開きっぱなしのドアから出ていった。
 何時間ぶりに出たんだろうな、と。よれよれの白衣の後姿を見送り、ドアのそばにかけてある時計に視線を移す。長針と短針は街が朝の世界として騒ぎ出すであろう時間を指していた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
 灯真に声を掛けられ、仁樹は下に顔を向ける。
「ありがとう」
 顔を見上げ、笑顔で仁樹にお礼を言う灯真。
 一瞬、そのお礼はまさか例の事件のことか、と考えてしまい時が止まってしまう。
「今日も、この前もごはん作ってくれて。あと、あそんでくれて」
「あ、そっちか」
「うにゃ?」
「いいんだぞ、お礼なんて。食材もガス代も博士持ちだし、遊んだのだって悪くないお前を怒ったからであって……」
「でも、うれしかった。だから、ありがとう!」
 にこり、と。自分とそっくりな顔が笑いかけてくる。
「……ありがとな」
 少し、少しだけ照れた顔を見えないように隠し、灯真の頭を少し強めに掻き回す。
「ん?」
 灯真は何故、自分がお礼を言われたのか分からず、されるがままに頭を掻き回される。
 灯真が笑っている───……。
 それだけで。『兄』として仁樹は嬉しかった。
「海琉のこと、言えねェな……」
 自分も自分を呆れるぐらいに、ブラコン、なのだと――――。
「灯真」
 最後に弟の頭をポンポンと優しく叩き、手を放すと同時に、博士が片手に錠剤をいくつか手に持って部屋に帰ってきた。
「残りも少なくなってきたから、今週中には病院に行くぞ」
「りょうかいでーす」
 博士はしゃがみ込み、巾着袋に薬を入れてぴったりと占める。忘れ物がないかと持ち物を確認し、終えれば立ち上がって二人は玄関に向かう。
 そんな親子の後を仁樹は付いていく。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい」
「車に気を付けろよォ」
 玄関の扉を開き、外の世界へ。小さな、だけど、元気いっぱいな手を大きく振り、灯真は小学校へと向かって歩いて行った。

「……大きくなったよなァ」
 弟の成長した後姿に、しみじみと感じる。
「そうだな。〝お前と初めて会った時〟は、100センチちょっとで……、〝本当に生きていけるか〟心配だったな……」
「それもあるけどよ……」
 灯真を見えなくなるまで見送った後、玄関から先程の部屋には戻らずに居間へと二人は向かう。
「中身も、大きくなったと俺は思うぜ」
 あの時。泣きまくっていた、泣き虫のガキが立派になった───……。
 居間に着くと、台所のほうから朝食のいい匂いがしてきた。
 料理とは片づけるまでが料理。仁樹は水場の桶に水を注ぎ、使って汚れた料理道具や食器類をその中に浸す。
「博士も早く食ってくれよ。洗いもん出来ねェ」
「ジャーマンポテトか。この前のポテトサラダと言い、本当にジャガイモ料理が得意だな」
「自分の好物でもあるしな」
 兄弟だからと言って好みが一緒とは限らないが、仁樹も灯真と同じく大好物がジャガイモであった。
 手を合わせ、「いただきます」と口にしてから美味しそうに盛られた朝食を食べ始める博士。
 彼が食べ終えるまでの間、仁樹は夕飯の準備をするために使い慣れた冷蔵庫の扉を開く。
「ジャガイモ、人参、玉葱……、相変わらずこの三つは多く入ってるな」
「その三つがあれば大抵の物は作れるからな」
「……確かに」
 カレーにシチュー、豚汁に肉じゃが。一週間分のメニューは完成するだろう。
 その他にも、冷蔵庫内にこれも大量に置いてある調味料にうどん、蕎麦やパスタなどと市販に売られている乾燥麺類。
 博士がどれだけスーパーに行きたくないのか。それを物語るほどに入っている。
「本当に、スーパー嫌いだよなァ」
「嫌いじゃない。苦手なだけだ」
「スーパーに行かないってことは同じだろ」
 いくら言い換えても、それだけは変わらない。
 仁樹はそんな大量の食材の中で最も消費期限、賞味期限がギリギリなものを選び、冷蔵庫から取り出す。
 途中、常温でも保存可能なものにツッコミを入れるのを忘れない。
「それにしても、博士よォ」
「なんだ?」
 博士に問いかけながら夕飯の食材を台所に並べ、その内のジャガイモを手に取る。
選んだ材料、調味料からして本日の夕飯は肉じゃがであろう。
 水でジャガイモに着く砂や泥を洗い落とし、置いてあった包丁を持って慣れた手付きで皮を向いていく。
「忙しいにしても、〝部屋汚くし過ぎじゃねェか?〟 大変な仕事でも頼まれたのか?」
 ボウルを取り出し、皮のむけたジャガイモをいれていく。
「大丈夫だ。大変な仕事だったが、〝お前のおかげで終われる〟」
「はぁ?」
 思わず振り向いてしまった。
「あとは報告書出すだけだ」
「いや、待て。俺のおかげって……」
「お前が犯人を捕まえてくれたおかげで仕事が早く終わった」
 つまりは、そいうことだ。
 博士の目が回る、猫の手も借りたい程のあの忙しさは今回の事件に関して調査、資料を纏める仕事だったらしい。
 そうなると先程の感謝の言葉は、主にこっちのことについてのものだったのかもしれない。
「あとは新聞の記事を纏めて、地下にファイリングして収めるだけだ」
「そういうの、早く言えよ……」
 この前の灯真と言い、流石親子というべきか。大変なことを何故忘れる。何故伝えない。
 何処か抜けている親子に、溜息をついて項垂れてしまう。
「仕方ないだろう。依頼者が依頼者だったのだから」
「依頼者ァ~……」
「お前が聞いたら絶対に嫌な顔をする者だ」
「絶対って……!」
 博士の言葉に、項垂れて頭を一瞬にしてあげた。

「『主(あるじ)』からだ」

「『主』が……」
 その言葉に、仁樹は眉間に皺を寄せた。露骨に嫌な顔をしたのだ。
 仁樹の顔を見た博士は「ほらな」と溢し、動かしていた箸を一旦止める。
 『主』────。
 それは『財峨』の、最高責任者────。
「『主』といっても、いまの〝代理者の方〟だがな」
「でも、『主』が出てきたってことは……」
「いや。今回の事件に、〝財峨の人間は関わってはいなかった〟」
「そうか……」
 財峨は関わっていない。その言葉で、緊張したように固まった身体が安心し、仁樹は肩の力を抜いた。
「だが、妙なことはわかってな」
「妙なこと?」
「犯人が目覚めた後、すぐに警察の嬢ちゃんたちによって取り調べが行われたらしい」
「……」
 目覚めた後に華花菜たちによる取り調べとは。
 犯人に同情する気は無いと述べていたが、その光景を想像すると不憫過ぎて無言以外のコメントが仁樹には出て来なかった。
「赤いスプレーのことを覚えているか?」
「あぁ。いつも壁などに掛かれるアレだろ」
 毎度事件が起こる度に『I am a player!』と現場に書き残される赤い文字。
 連続犯罪者、『死の遊び人(デスプレイヤー)』のメッセージ。
「それがどうしたんだ?」
「それを、知らないと言っていたらしい」
「知らない……?」
「あぁ……。〝犯人が知らないと言っていたらしい〟」
「えッ……?」
 もしかして、聞き間違えたのではないか、と。聞き返すように博士に視線を向けるが、やはり真実。仁樹の聞き間違えではない。
「どういう、意味だ?」
「そのままの意味だ。犯人はメッセージなど、〝一度も書いたことはない〟、と答えたらしい」
「だったら、誰が―――ッ!」
 『誰が』やったのか。犯人ではない『誰か』が―――。
 華花菜相手に犯人が嘘を付く事なんて無理に等しい。男なら尚更だ。
 突然の謎に、頭を混乱させながらも必死にその『誰か』を仁樹は考え始めた。
 相手は素人。殺戮を好む素人の犯罪者だ。
 そして、きっと二十歳を超えているであろうにも関わらず、その男の言動全てが子どもに見えてしまった。
 だからなのか。目立ちたがり屋のように見えてしまい、そのメッセージも当然、その男がやったように考えてしまったのだ。
 だが、その考えは「知らない」という男の答えで否定される。
 目立ちたがり屋――――……。
『一ヵ月もこんな派手な行動をして見つからないと考えると……』
『共犯者がいるってことか……』
 この家で、海琉と話した内容を思い出す。
 共犯者――――……!
「博士。その犯人は、共犯者がいるって言ってたか?」
「いや。言っていない。警察の嬢ちゃんは、『いるに決まっている』と主張しているらしいがな」
「あァ。いるに決まっている」
 あのような男が一人で完璧に、バレずに犯罪を連続ですることなどどう考えても無理だ。犯人と対面した仁樹は、それを迷いも疑いも無く言い切ることができるであろう。
 ということは、メッセージの件については男の共犯者が書いたという考えになる。
 協力しているのではなく、利用していた共犯者。
 しかし。それでは、何故その共犯者は、こんな子供染みたことをしたのか。
 捕まらない自信を見せたかったのか。本当に遊び心でやったのか。
 証拠を残さないほどの凄腕であるにも関わらず、わざわざ犯人を決定づける証拠を書き残していったのか。
「……」
 犯人を決定づける証拠───……。
「……そうか」
「分ったのか?」
 食事を再開していた博士が、ぽつりと溢した仁樹の言葉に反応する。
「共犯者は……、〝犯人を捕まえてほしかったんだ〟……」
 犯人がミスを犯したあの日。グーテンタークの爆発事故の時、共犯者は犯人にもバレずにずっと傍に、監視していたはずだ。
 そうでなければ、仁樹に、完全に命中させるタイミングで看板を落とすことなど不可能。
 そして、あの事件ではメッセージは残していない。いや、〝残している暇が無かったというべきか〟。
 警察が来るまで事件現場は、爆発が起きた後、ずっと仁樹の先輩や店員たちが見張っていた。
 また、犯人の隠れ家がバレてしまったこともあって、あの時は流石に共犯者も諦めたのだろう
 だが、今回はどうだ。今回も共犯者は監視していたはずだ。
 仁樹が男を倒し、警察が来るまでの僅かな時間。それだけの時間があれば、手際のよい共犯者ならメッセージを残し、犯人の回収ぐらい容易であろうに。
 回収するどころか、赤いスプレーを倒れた犯人に持たせ、警察に引き渡すように置き去りにしていった。
 利用し終えた犯人を、切り捨てたんだ――――。
 そして―――……。
『その第三者さえ襲われていたのなら無理は無いけど、彼らは全員無傷』
『第三者が脅されていたとか?』
 この会話から、導く答えは一つ。
「共犯者は、〝俺を知っている〟」
 看板が落ちた現場から、店まで引き返したとき。何故、共犯者は仁樹の前に現れなかったのか。
 証拠を消さなければならないのに、どうして仁樹を襲わなかったのか。
 共犯者は、知っていたのだ。
 仁樹の強さを。異常性を。危険性を――――。

 何を、目的に。共犯者は犯人の男を利用したのか。
 今回の事件はまるで、男の遊びに付き合った……、いや、男で遊んだいたかのように仁樹は何処となく感じてしまう。
 人を殺す行動に協力し、仁樹を知り、財峨ではない。人をまるで駒のようにして、残虐を楽しむ人物。
 〝人の死を求めるような存在〟――――。
 人の死。死の運命……、

『素晴らしいじゃないか――――!』

「―――――ッ!!」
 息が、止まった。
「そう、かよ……」
 全ての謎が――――。
〝ことの発端がわかった〟――――。
 頭の中で、バラバラになっていたピースが全て、額縁の中に当てはまっていく。
 当てはまり――――。
〝全ての原因〟を。パズルの絵として完成させる――――。
「お前も……、知っている相手か?」
「あァ……。〝二度と見たくも、思い出したくもねェ顔だ〟」

 一度だけ。たった一度だけでも、その姿を見れば。
 『忘れる』という『愚かなこと』を誰もがしないだろう。
 彼の存在は見た者すべてに焼き付ける。
 『絶世なる美青年』と称される男――――。

 仁樹が、〝二度と思い出したくなかった存在〟―――――。

『彼女こそ、私に相応しい――――!』

「――――ッち!!」
 握っていた包丁を湧き上がる感情のままに、木のまな板へ突き刺す。
 手が、震えている。だが、それは『恐れ』を表しているものではない。
「こんなことする奴は、『あいつ』しかいねェ……!!」
 武者震い、だ。

 怒り。逆らい。絶望した、震え―――――。
 腹の中で煮えくり返る、『感情』。それに反応して、握る手に力をを入れる。
 包丁を握りつぶしても可笑しくない、『感情』を表すその力で―――。

 仁樹は、その『感情』を作り出した男の名を口にする。

 〝『神』をも呪い殺すであろう〟。地を這うようなその低い声で――――。

「千架ァ――――……!!」

 その漆黒の瞳には――――、
 激しき、『憎悪』しか秘められていなかった―――――。









←BACK  CLOSE NEXT→

inserted by FC2 system