神と罪のカルマ2 『辛い』ディナーを召し上がれfirst【03】



 ―――怖い。
 けれども、それを口にすることは誰も許してくれなかった。
 日がかすかにしか入らない、狭い部屋の中。木で造られた古臭い世界の中。蹲るようにして座り込む幼き少年が一人。
 見た目からして、すぐに十もいっていないことが分かる。小さい身体を震わせながら、少年はその子ども特有の多い大きな瞳から大粒の涙を流していた。
 ―――怖いよぉ。
 口から吐くことのできない苦しみを内に秘め、耐えていく。
 涙を流すことは許された。そうでなければ自分は壊れてしまう。
 それとも、いっそのこと壊れてしまった方が楽なのではないだろうか。
 何も感じない存在に。何も考えない存在に。そんな存在になれば楽なのではないだろうか。
 そんな考えが幼き少年の頭の中を過ぎる。
 もう、嫌だ。ここに居たくはない。お家に帰して、と。毎日毎日、叫ぶことのできない叫びが身体の中に溜まっていく。
 ―――どうしてこんなことしなきゃ、いけないの?
 身体の内に問うっても返事は帰って来ない。
 誰かに問う権利さえも、幼き少年には与えられていなかった。
 その前に、この部屋には幼き少年以外誰もいない。
 外に出たくても、扉は外側から鍵が掛けられ、窓は木の柵があるために不可能であった。
 そして、この部屋には一切子どもが喜ぶようなものなど置かれてはいない。部屋と同じく、木で作られた古臭い棚には明らかにこの幼き少年には難しいであろう本が所狭しと並べてある。
 床に座って使う昔ながらの机の上にあるのは、筆や黒鉛筆と赤鉛筆。習字や勉強で使うものばかりでクレヨンや色紙など子どもらしきものは見当たらない。
 絨毯も畳もひかれていない木の床には数学、古典と書かれた、本棚に入り切らなかったであろう本が積み重なった束が多く置かれていた。
 それら以外に何があるのかと言えば、綺麗に畳まれている布団と入り口近くにある扉から続く一人用の湯船だけ。
 まるで勉強だけをさせるための部屋に、その幼き少年は閉じ込められていた。
 この年頃なら外で元気よく遊びたいはずなのに。大声を出して人と話したいはずなのに。
 幼き少年の年齢には全く合わない部屋の中。……違う、そうではない。
〝人としてまるで尊重されていない〟部屋の中で、幼き少年は全ての、『人である権利』を奪われていた。
 自由に話す権利も。自由に動き回る権利も。自由である、『自身』という権利を―――。

 ―――……っ!!
 扉が、動いた―――。
 幼き少年の手では決して開けることのできない扉が動いたのだ。
 扉もやはり古く。何度か突っかかりながらも横にひかれ、開いていく。
 日の光が部屋に入ってくる。顔を上げると、暗さになれた目が痛くなった。
 久しぶりの太陽の日差し。……だが、幼き少年は喜ぶことが出来なかった。
 なら、何故顔を上げたのか。それは、悲しくも習慣だった。幼き少年に使うには可笑しい、〝長年〟の習慣だ。
 少年が喜ぶことの出来ない理由―――、原因は、幼き少年への日の光を遮るようにして扉の前に立つ、人物のせいだ。
「時間だ」
 低い男の声。だが、幼き少年にとっては『恐怖』以外なんでも無い。
 その声を耳にした瞬間、蹲っていた身体が条件反射のように背筋の通った正座へと姿勢を変えた。
 この男が来たら、何が何でも顔を上げなくてはならない。声を掛けられたのなら姿勢を直さなければならない。
 なんて酷い、見るに堪えない習慣だろうか。
 けれども、涙が止まったが、幼き少年の顔は『恐怖』を隠すことできなかった。
 その顔を気に喰わなかったのか。男は短い舌打ちをした後、手を大きく振ってその幼き少年の顔を力強く叩いたのだ。
 鳥肌が立つような大きな音が古臭い、狭い部屋の中に響く。
 勢いに負けて倒れる幼き少年。それでは足りないかのように、男はさらに追い打ちをかけるように小さい身体へと蹴りを入れた。
「……!!」
 悲鳴を上げてはならない。泣いてもいけない。小さい、本当に小さい身体にしまい込むように耐え続ける。
 震える身体を必死に抑える幼き少年に、男は何処か満足したような顔をしてから身体の向きを外へと変えた。
「出ろ」
 命令。幼き少年は返事をすることなく痛む身体を無理矢理起こし、立ち上がる。そして、外へ真っ直ぐ、振り向きもしない男の跡を付いていく。
 あんなに出たかった部屋から出たのに、幼き少年の顔は晴れやしなかった。
 立ち上がったことで湧き上がる吐き気をなんとか抑えながら歩く。追いついていかなければ、また辛(つら)い目に合う。
 ――もう、嫌だ……。
「いえに……かえして……」
 無意識だった。
「おい」
「……!?」
 無意識だったんだ。幼き少年が意識することなく、その小さい口が小さな身体に溜め込んでいた『願い』を口にしたのは。
 慌てて手でその口を抑える。だが、もう遅い。言葉は聞かれてしまった。
 自分は何てことをしてしまったのだろうか。許可されていないのに、口を動かしてしまった。自分の主張をしてしまった。
 叩かれる。蹴られる。殴り飛ばされる。痛くて痛くて溜まらない罰がやってくる。固く目を閉じたくても、閉じることは許されない。
 幼き少年は目を見開いたまま、その場で固まったまま男からの罰を待った。
「帰してだと?」
 しかし、罰が来ることは無く、代わりに男の疑問を込めた声が聞えてきた。
 その反応に驚きながらも、少年は未だに手を口から離さないまま男の声に耳を傾ける。
「〝ここがお前の家だろう〟」
 ――……!!!??
「何を馬鹿なことを言っている」
 違う。ここではない。呆れながら自分に言う男に、幼き少年は腹の底から、身体の中で「違う」と悲鳴に近い声で否定し続けた。
 ――ちがうよ!! ここじゃないよ!! おうちはここじゃない!!
 幼き少年は覚えていた。本当の家を。こんな古臭い、狭い部屋ではない、温かな家を。
 日の光が、いつも畳が並ぶ部屋に刺していて。障子の向こう側には池や松の木が綺麗な庭があって。長い和のテーブルには御煎餅などの和菓子が置いてあった日本屋敷の家。
 そして―――、

『――! ほぉら、おいで!』

 手を大きく広げ、優しく、愛おしく、自分の名前を呼んで抱きしめてくれる存在を―――。

「ち、がう……」
 二度目の無意識。今度は、否定の言葉。
 男は暴力を振るわなかった。それどころか、口元を歪ませ、幼き少年が聞きたくない言葉を続けた。
「いいや。ここがお前の家だ。お前が否定しても、拒絶してもここはお前の家。お前の〝居場所〟だ」
 やめてくれ。もう、聞きたくない。幼き少年の我慢が崩れていく。泣かないように、この感情を出さないようにと必死になっていた顔が崩れていくのが分かる。
 だが、男は止めない。ひびが入っていくガラスを叩くことを止めない。


「その脳に刻み込め。お前の家は〝ここ〟だ。そして、俺は〝――――――〟」

 ――!!!!???


 その言葉を聞いた後、幼き少年は理解した。
 何故、男が罰という暴力を振るってこなかったのか。

 簡単だ。



 その言葉の暴力が『罰』だったんだ―――――…………








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