神と罪のカルマ2 『辛い』ディナーを召し上がれsecond【02】



「はい、どうぞ」
 目の前にさし出されたアイス付のスプーン。
 一般的において、大勢の人が行きかう街中でこのような行動をするということは友達同士、または恋人同士となるであろう。
 今回は後者だ。恋人同士の片方、仁樹はいつも身を包んでいる調理服を脱ぎ、七月に相応しい夏のファッションを着こなしていた。そして、隣から自分へと向けられるスプーンに恥ずかしさを一切感じることなく、極自然にその口を開いた。アイスが運ばれる。旬であるラズベリーの甘酸っぱさがアイス独特の冷たさと共に口内で広がり、益々夏を感じさせた。
「朋音」
 口の中で完全に溶け切ったことを感じ、続いて自分が持っていたカップから多めにブルーベリーのアイスをすくう。そのまま、流れるようにスプーンを差し出してきた恋人、朋音の口元に運び、口を開けるように促した。彼女もまた、極自然に整った口を開き、仁樹の選んだアイスを味わう。白色の夏帽子に淡い水色のワンピース、そして美味しいものを食べた時に見せる飛び切りの笑顔。
 恋人の仁樹では無くても、彼女の美しさは周りの人々の心を射止めてしまうのも当然なことで、
「ねぇ、いまの笑顔見たぁ!」
「メッチャ綺麗だったよね! ちょっと見惚れちゃったよぉ!」
「なぁ、俺。人生で初めてナンパしたいって思った!」
「俺も!でも、彼氏持ちだよぉぉおお!」
 男性も女性も、視線は朋音に集中していた。当の本人は気付かずに、自分のアイスを美味しそうに食べ続けている。
 仁樹の方は、「ナンパしたい」と口にした男に若干怒りを感じていた……が、彼氏の自分を視界に入れたことで諦めた為に、まぁ良しとした。
 平日の昼。お互いの休みが重なった特別な彼らの休日。
 朝からご存知、仁樹お手製の朝食を取った後、二人は街へ出かけた。所謂、デートである。
 お互いに合う洋服やアクセサリーを見立て、CDショップや本屋を覗いてはいま話題のものについて話し、ゲームセンターではユーフォ―キャッチャーやプリクラを撮るなど恋人らしい二人っきりの時間を楽しく過ごしていた。
 そうしているうちに時刻はあっという間に昼を越えていて、二人は近くの料理店で昼食をとり、いまは街中にある噴水公園にて最近出来たばかりのワゴンのアイスをデザートに楽しんでいる様子である。
「やっぱり、夏はアイスだね~」
「そうだな。あ、でも、あんみつも捨てがたい」
「なら、かき氷も。あとは、アイス付きのクレープも!」
「クレープかぁ……、さっきのメニューにもあったな。……よし、次のデートはクレープを食おうぜ」
「うん、楽しみにしてる!」
 ごく自然に次のデートを約束した二人は、続いて今日行く先々の店で見かけたある衣類の話題へと変えた。
「しかし、時期だからか何処の店でも浴衣がメインに飾られていたなァ」
 浴衣だけではない。店の壁や道にある掲示板などに花火をメインに描かれたポスターが張られているのを何度も見かけた二人。それが何を意味するか。季節を考えればすぐに思いつくものだ。
「今年のお祭りも晴れるといいな~」
「因みに。この前聞いたが、先輩の実家の大きな神社では毎年祭りの時期に雨が降るらしい」
「水龍様をまつっているのかな?」
 答えは、祭り。子どもたちが楽しみでしょうがない、恋人のデートとしても夏の定番とも言えるイベントがこの地域にも迫ってきているのであった。
 いまから待ち遠しそうに、「今年の新しい屋台は何かな~」と、あの祭ばやしの世界を想像し始める朋音。彼女の楽しみが映ったのか、仁樹もまた夜の中で輝く祭りのイメージを浮かばせた……その時、ふっ、と過去を思い出した。
 高校生時代。夕日色の浴衣に身を包み、巾着かごを揺らしながら赤い大きな鳥居を抜けた朋音の姿を。
 自分と彼女と、お互いの親友たちの四人。多くの屋台が奥へと並び続ける神社の祭りへと踏み込んだ記憶を頭の中で鮮明に思い出し始める。

 当時の仁樹は、祭りに行くつもりは無かった。そもそも、〝『神社』そのものに近づきたいとも思っていなかった〟のだ。
 何故、そう思っていたのか。原因は、彼が育った家系、つまり『財峨』が関係していた。
『神になんか奉仕などするな』
 この時の仁樹は既に家の言うことなど聞かなくてもいい身ではあったが、何処かで家の言葉に縛られていたのであろう。あるいは本当にただ面倒臭かっただけなのか。はたまた、未知なる世界に怯えてしまっていたのか。
〝そこに行って何がある〟と、「祭り」の存在意義を考えた結果、行かないという選択を取ったのか。
 どのような考えで行かないと決めていたのか。当時の仁樹にしか分からないことだが、祭り三日間の内の前夜祭では周りが浮き立つ中、一人だけ本当に興味がない様子でひたすら本を読み続けていた。
 そんな彼を輝く世界に誘ったのが、未来の愛しい恋人。朋音だ。
 自宅に籠っていた仁樹を後に彼の親友になる友人と共に外へと引っ張り出し、逃がさないようにと祭り会場まで彼の腕を掴み続けていた。
 勿論、仁樹も勢いに流されるような男ではない。当時の同居人に助けを求めた……が、しかし。必要な分の金が入った財布を投げつけられた挙句、「お土産宜しく」と言い切られてしまったのだ。
 故に、幼い頃から特殊な環境で育ち、「祭り」とは全く無縁な生活を送ってきた仁樹にとって、友人たちといく祭りばやしの世界は『人生初のお祭り』となったのであった。

「仁樹君と初めてお祭りに行ったときは、ビックリしたんだよ」
 朋音もまた高校生時代に初めて四人で行った祭りを思い出し、仁樹に話しかける。
「金魚救いで金魚が全く俺に近づいて来なかったことか?」
「射的屋さんで沢山景品ゲットした方だよ~」
「そっちか。まァ、途中であいつがムキになって勝負してたな」
 金魚が全く仁樹に近づいてこなかったことも驚くことだが、的屋で勝負ごとになり、親友と共に屋台を泣かせたことも確かに印象深い思い出であろう。型抜き、輪投げ、ポテトの詰め合わせ。未来の恋人に応援されながら、花火が打ちあがるまで続けた勝負事。
 いま思い返せば子どものようなこと、笑ってしまうようなこと。しかし、あの瞬間でしか出来なかった青春を―――。
 ―――俺は楽しんでいたんだろうな。
 生意気で澄ました顔をしながらも、本当は心の底から楽しんでいた。引っ張られながら訪れた世界を。もう二度と来ない時の流れを。
『一生に一度しかないこの瞬間を楽しまないなんて勿体無い。私が許せない』
 離すものかと、掴み続けた彼女と。一度しか訪れない高校生時代。刹那の奇跡を仁樹は楽しんでいた。
「……今日の夕飯はお好み焼きにするか」
「私も食べたいなぁって思った」
「以心伝心だな」
 その言葉に朋音は嬉しそうに優しく笑う。仁樹も同じく笑う。貰い笑いだ。
 二人して祭りの思い出に浸ったからか。祭りの定番メニューともいえる料理の名前を口にすると、お昼を食べたばかりだと言うのに会話は既に夕飯の内容となっていた。
 本日の夕食は博士の自宅に久しぶりに全員が集まる予定。昨日の夜、「いっぱいお話をするの」と、久しぶりに過ごす親友との時間を楽しみにしていた朋音の姿を思い出す。仁樹も自分の親友と先程、花を咲かせた思い出話を自分の家族を交えながら話そうと思った。大切な人たちと共にホットプレートを囲み、バカ騒ぎするであろう時間。想像すれば笑いが止まらなかった。
 幸せ以外、何も思いつかなかった。
「んじゃ、夕飯の時間までデートを楽しもうぜ」
「うん!」
 それでは残りのアイスを食べ切ろうと、仁樹は止まっていたスプーンを動かした。ブルーベリーを味わいながら、次は何処に行こうかとあたりを見渡す。
 その時、仁樹の瞳にとある人物が目に写った。
「ん?」
「どうしたの?」
「いや、あれ。灯真じゃねェか?」
 反応した朋音も、仁樹の視線が向く方へ顔ごと向けた。綺麗なブラウンの瞳に彼と同じ人物――、灯真を映し出す。
 人が行きかう中、相変わらず痛みを知らない漆黒の髪を揺らしながら半そで短パンの姿で歩いていた。太陽に照らされる、小さな背中に背負った黒のランドセルからいまは学校帰りだということが推測出来る。平日だが、午前授業であったのだろう。それならば、こんな時間帯に小学生が外を出歩いていてもなんら可笑しくは無い。だが、問題はそこではないのだ。
 何故、弟は通学路から離れたこんな街中を一人で歩いているのだろうか、と仁樹は首を傾げる。朋音も同じことを思ったらしく、仁樹と顔を見合わせた。
「どうしてここに居るんだろう?」
「それと、なんか腕に何か抱えてたな」
 遠くだが、確かに何かを持っていることを仁樹の目はしっかりと確認していた。街中まで何かを買いに来ていたのだろうか。しかし、いくら自由を子どもの自由を尊重する育て方をしていても学校帰りに街中に来ることは宜しく無いことだ。
「どうしよう?追いかける?」
「そうだなァ……って、アレ?」
 丁度、灯真は信号で捕まり横断歩道の前で立ち止まっていた。道路を横断すれば、足の長さもあってすぐに追いつくだろう。信号が変わることが待ち遠しいようで、その場で忙しなく足踏みを続けている灯真を見ながら提案する朋音。仁樹も流石に放っておけないと弟へと視線を再び向けようとした……、その時。
 またもやある人物が瞳に写った。今度は朋音も仁樹には聞かず、目線を追うように顔を向ける。と、彼女もまたその人物を視界に入れた。
「海琉君?」
 見覚え通り越して慣れ親しんだ人物が二人の視線の先、道路挟んで反対側の道に立っていた。
 男性にしては長い髪に、平日にも関わらずジャージといった緩やかな格好。そのおかげでか平均身長を超す身体でも威圧感を与えない。
 顔は……きっと彼への第一印象を位置づけるであろう。遠くから見ても陽気で少年のような笑みを持ち、他者に悪意や裏などを一切感じさせることはない。
 優しく、海のような彼の名は、飛田海琉(ひだかいる)。
 飛田活人流道場師範代次期当主にして、財峨仁樹の人生で唯一無二の親友である。
「あいつ何してんだ?」
 位置的に灯真の後ろに距離を開けて立っている親友。それも、電柱に隠れるように立っていることが此処から見てわかる。
 灯真にばれない様にしているのであろうか。だが、それでも通りすがりの小さい子どもが転びそうになるとすかさず受け止めているので、隠れていても親友の「正義」は年中無休に作動中である。
 仁樹は弟と親友を両方視界に捕らえながら、朋音に「わりィ、電話する」と一言謝り、ポケットからスマートフォンを取り出した。誰に電話をするのか瞬時に朋音は分かったらしく、「大丈夫だよ」と言ってから視線を再び信号待ちの灯真へと向ける。慣れた指使いでアプリを起動させ、画面をスライドし、お目当ての名前を見つけて親指でタップ。耳元に持っていけば特有の発信音が鳴り続け始める。暫くすると、向こう側の親友が何かに気づきズボンのポケットに手を突っ込む動きが見えた。取り出したのはスマートフォン。タップして耳元に運ぶ。
 すると、こちらの発信音がプツリと消え、代わりに陽気な声が聞えてきた。
《やぁ、仁樹。元気かい?》
「おう。海琉も元気そうだな。ところで、お前。何してんだ?」
《うん?……あぁ!》
 電話の返事で気付いたのか。顔を動かし、反対側にいる二人を見つけた海琉は嬉しそうに手を振った。朋音も振り返しているので、仁樹はスマートフォンを朋音の耳元へと運ぶ。
《あははは! やぁ、朋音ちゃん元気かい?》
「こんにちは! 私も元気だよ」
「で、本題戻るけどよ。お前、灯真の後を追いかけてんのか?」
 スマートフォンを自分の耳元に戻し、再度海琉に問いかけた。
《追っかけてるんじゃない。尾行だよ》
「……先月に弟が似たようなことを言ってたような気が済すんだが」
《俺は子ども心を忘れないのさ!》
「同じく先月に『妖精の粉が必ずしも夢いっぱいではない』と子どもの夢を壊す発言したのは誰だよ」
《でも、信じる心の力を信じているっていうのは子ども心からの発言じゃないかい?》
「確かにそうだけどよ。子ども心持ってんなら『妖精の粉は夢いっぱい』ってことにしとけよ。信じとけよ」
 こちらに親指を立てて笑った親友に、間髪入れずに言い返す仁樹。あくまでも自分は子ども心を忘れていない、とを主張する彼にまた言い返そうとしたがが、はッ、と何かに気付き口を止めた。
 隣に視線を向ける。隣に立っている朋音が口元を押さえ、あからさまに震えていた。その様子からして話の内容は丸聞えだったのだろう。明らかに笑い声が聞こえる。
「面白いか。この内容?」
「面白い……!」
 たまに、彼女の笑いのツボは浅いのではないかと仁樹は思う。そんな彼に若干笑いで目に浮かんだ涙を指で拭きながら、「海琉君のペースに乗っているよ」と朋音が言った。
 あぁ、彼女は自分が彼のペースに巻き込まれていく姿にも笑っていたのか。そのことに気づくと、何処か少し恥ずかしくなって視線を彼女からそらした。愛する彼女の前ではいつもカッコいい男でいたいのだが、それはとても難しいものだ。
「……見てんだろー」
《バッチリとね》
「本当にお前、自分のペースに持っていくのが上手いよな」
《そう? 朋音ちゃんには負けると思うけど?》
「仁樹君! 灯真君が横断歩道渡るみたいだよ」
 朋音に服を引っ張られながら呼ばれ、仁樹は会話を一旦中断し、視線を再び灯真の方へと向けた。後ろからの大人の歩みに負けないように、駆け足で横断歩道を渡っている。海琉も灯真が動き始めたことに気付き、そのあとを距離を保ちながらばれない様に歩き始めた。おそらく、海琉も二人同様、「灯真が何故、街中を歩いているのか」と疑問に思っている筈だ。だが、親友は言った通り「尾行」するだけであって、灯真に直接接触する気はないように見える。
《まぁ、灯真君のことは俺に任せてよ》
「けど……」
《いま、君の隣にいるのは誰だい?》
 実の兄が放っておいていいのだろうか。しかも、親友に任せて、と。保護者の立場としての責任として言葉を続けようとするも阻止された。
 隣にいる人物。電話したまま顔を隣に振り向くと、朋音は灯真が歩いて行った方へ顔を向けていた。きっと、彼女のことだ。弟が見えなくなるまで見続けるであろう姿が仁樹の目に写る。
《夕方にはみんなで会うんだ。灯真君のことはその時でいいじゃないか》
 その言葉には、「いまは二人っきりの時間を楽しむべきだ」という意味も含まれていることに仁樹は直ぐに気付く。
 以前、仁樹と朋音は海琉に言われたことがある。二人はお互いがお互い、最優先的存在であるがために「いま、何が大切なのか」「いま、放っておいてはいけないものは何か」など、『いますべきこと』を常に考え、気を付けている。そうでなければ、物事が進まない。大変なことにだってなってしまう。忘れてはいけないこと。しかし、そんな二人に海琉は「もっと、甘えてもいい」と言ったのだ。
『甘えていいんだ。何もかも君たちが背負うものじゃない。みんな、君たちには幸せになって欲しいんだよ』
 誰かに頼ることもできる『いますべきこと』なら、頼ることも大切だ、と彼は二人に教えてくれた。
「……任せていいか?」
 正直に言うと、弟には悪いが朋音と二人っきりのデートを続けていたい。もっと、彼女を独占していたい。「夕方までたくさん楽しもう」と笑った彼女の願いをかなえてあげたい。
 ならば、いまは「甘える」ことが『いますべきこと』なのだろう。申し訳なさそうに、弟のことを親友に頼む仁樹に海琉は嫌がることなく「オッケー」と直ぐに答えた。
《あ、でも。灯真君と会った時、この前みたいにいきなり怒るのは無しだからね》
「あァ……、あれは正直に反省してる」
 先月、夜中に出歩いていた弟を理由も聞かずに出合い頭に怒ってしまった仁樹。その時、一緒にいた海琉は口を挟まなかったが、後日会った時、彼は仁樹に注意したのだ。
「理由を聞かないで怒ることは説教ではない」、と。
《それと。灯真君、なんか誰にも見つかりたく無さそうに歩いているんだよね》
「見つかりたく無い?」
《頭を時たまキョロキョロさせてさ。まるで、先生に見つからないようにって。悪い子なら堂々と歩いてるよね~》
 陽気に話す海琉の声に、先ほど灯真が何かを抱えていたことを仁樹は思い出す。何か関係あるのだろうか。遠くから見て、特に焦っている雰囲気も無ければ、いたっていつも通りであった弟の姿。見た時の様子からして、危険なことには巻き込まれてはいないはずだ、と仁樹は思う。
《何かあったら、俺が敵の顔面とかに蹴り入れて灯真と逃げるから》
「あァ、わかった。弟を頼むな」
《りょーかい! じゃぁ、あとで!》
「おォ」
 通話を終了した時には、既に灯真の姿だけではなく、海琉の姿も見えなくなっていた。代わりに、こちらへと向けていた朋音の顔が目に入る。微笑みながら「終わった?」と、彼女のいつ聞いても心地よい声が耳に伝わってくる。その声で、仁樹も自然に微笑みながら「終わった」といってスマートフォンをポケットにしまい、その手で丁度被り直そうと帽子を取っていた朋音の頭を優しく撫ぜる。とても手触りのいい彼女の髪は撫でることを癖にさせてしまう。
「待たせてごめんな。アイスも結構溶けちまって」
 食べてても良かったのに、と朋音に伝えると「一緒に食べた方がおいしいから」と返ってきた。
 彼女はいつだってそうだ。誰かと楽しさを共感することが一番楽しい。誰かと一緒に何かをすることが、彼女にとって一番楽しいことなのだ。
「灯真君のこと、大丈夫だったの?」
「海琉が任せろって言ってくれた」
「そっか。なら、安心だね。私も夕方に合った時にまたちゃんとお礼言わないと……」
「それにしても、最近はあいつに頼りっぱなしだな……」
「ねぇ。だったら、今日のお好み焼き、海琉君が好きなシーフードも作ろう?」
「そうだな。そうしよう」
 彼女の提案を受け入れ、簡単に頭の中で夕食の材料を纏めながら残っていたアイスを多めにスプーンですくい口に運ぶ。
 さて、アイスを食べ終わったら何処に行こうか。本日は平日であるが故にイベントは何処も行っていない。では、また服屋や雑貨屋を見て周ろう。お互いに最近あった出来事を話しながら食べていると自分のアイスが無くなり、朋音も食べきったことで彼女からカップを取ってゴミ箱を捜す。
「仁樹君。ごめんね、ちょっと手を洗いにいってきていいかな」
「あァ、わかった。俺はゴミを捨てとくから」
 ワゴン近くにある公園の水道へと向かう彼女を確認しながら、仁樹は設置してあったゴミ箱を見つけ、捨てに行く。カップとスプーンをそれぞれのゴミ箱に分けて捨て朋音の方へと向かおうとした時。下から視線を感じた。
「ん?」
「わぁ~!」
 女の子が一人。下を向くとこちらを見ていた。心なしか、まん丸い目が輝いている。
「どうした、お嬢ちゃん?」
 自分を見上げてくる、灯真よりも幼い少女に、仁樹は膝に手を当てて屈みながら訪ねた。
「おにいちゃん、かっこいいね!」
 突然の褒め言葉。あまりにも突然なことで一瞬、驚いて止まってしまったが、すぐに「ありがとな」と言って微笑みながら幼き少女の頭を優しく撫ぜた。整った顔立ちをした仁樹の微笑みだ。増々、かっこいいと思ったのであろう。今度は「きゃー!」と頬に手を当てては笑顔を見せた。
 仁樹はその容姿ゆえに、朋音程ではないが逆ナンされることが多い。それも、たちの悪い、下心丸出しの逆ナンが多く、ギャル全開の遊び盛りな化粧の濃い女子高校生から一夜限りの身体の付き合いを求める女性まで。顔が良くてモテるからと言っていいことばかりではない。むしろ、この少女のように純粋な気持ちで声を掛けてくる方が少ない。故に、仁樹もまた純粋に少女がくれた言葉に喜んでいた。
「お母さんはどうした?」
「あそこで、たーくんのママとおはなしちゅー。たーくんはろぼっとばっかりでたのしくないのー」
 少女が指差した方を見ると、女性二人とおそらく「たーくん」であろう幼き少年がベンチに座っていた。少年と反対側に座っている女性が、目の前の少女の母親であろう。話すことに夢中で娘が此方に来ていることに気づいていない。母親と思わしき女性の隣には生地が柔らかそうなぬいぐるみが置かれていることから、きっとこの少女はぬいぐるみ遊びに飽きて自分のところに来たのであろうと仁樹は推測した。
「ここ、すなばないからたのしくない~」
 本当に、詰まんなさそうに後ろで手を組んで身体を揺らす少女。その度に髪も一緒に揺れる。
 左右の、こめかみのところで結ばれている髪が揺れる。
「……よし。じゃァ面白いものを見せてやるよ」
「うにゃ?」
 屈んでいた身体を今度は少女と目線が合う位置になるようにしゃがみ込み、腰につけていたウエストバックから一枚の黒いハンカチを取り出した。不思議そうな顔をする少女にハンカチを広げて、「タネも仕掛けもありません」と手品の決まり文句を口にしながら見せた後、素早く片方の手の上に乗せる。その手を少女の方へと向けると、「お嬢ちゃんに幸せあれ」と口にしてまた素早くハンカチを取り除いた。
「わぁぁあ!!」
 そこには一輪の黄色い花が咲いていた。
「すごーい!!」
「これは造花だけどな」
「ぞうか?」
「人工の……、じゃなくて、本物じゃない、紙とか布で作った作り物の花のことだ」
 危うく自分の悪い癖、「辞典の文をそのままいう癖」で混乱させてしまう所であったが、何とか子どもでも分かりやすい説明に言い換えた所、少女は納得して造花を興味深そうに見ていた。小さな手で触って、普通の花にはない手触りに驚いている。
 午前中に朋音と寄った雑貨屋で見つけた造花。あまりにも綺麗に見えた仁樹は部屋に飾ろうと思い、お手頃な値段でもあっていくつか買っていたのだ。
 黄色い花の名前は、フクジュソウ。
 花言葉は「幸せを招く」。「永久の幸福」。
「ほら、やるよ。プレゼント」
「いいの~!!」
 頷くと、少女は嬉しそうに造花を受け取る。
「ありがとう!!」
「おう。どういたしまして」
 満面な笑顔でお礼を言う少女に、仁樹もまた笑顔で返してその頭を再び撫ぜる。その時、ベンチの方から「ななちゃーん!」と名前を呼ぶ声が聞えた。どうやら、この少女の名前のようで、少女もまた「あ、ママ―!」と振り向き、仁樹にもう一度お礼を言ってベンチの方へと走っていった。そのままの勢いで、少女は母親に抱き付くようにぶつかっていき、母親もそんな我が子を抱き留める。そのまま頭を撫ぜていると、どうやら少女が持つフクジュソウの造花に気付いたらしい。少女が「もらった!」と元気のよい声で答え、母親は慌てて立ち上がり仁樹へと頭を下げる。仁樹も同じく頭を下げ、少女へと手を振った。
「おにいちゃん、ばいばーい!!」
 少女は小さい手をいっぱいに振った後、ベンチに置いてあったぬいぐるみを持って抱きしめた。そして、母親は我が子の頭の上に麦わら帽子を被せる。
 少女の、こめかみのところで結ばれた髪が見えなくなった。
 ぬいぐるみを持たない方で母親と手を繋ぎ、公園の入り口の方へと歩いていく。「あのね~!」と言いながら、楽しそうな声で、幸せそうな横顔を見せながら。多くの人が行きかう街の世界へと歩いて行った。
「ひーときくん!」
 その姿を見つめていると、後ろの方から朋音が顔を出してきた。先ほどまでのやり取りをみていたのだろう。にっこりと笑った顔がそれを物語っている。
「とてもカッコよかったよ!」
「それ、朋音に言ってもらえると倍に嬉しいな」
 惚れた女性に言って貰えたのだ。嬉しいはずがない。無意識に口元と目元を緩ませてしまう。
 それでは、自分たちも移動しよう、と先ほど使っていたハンカチを綺麗に畳んでしまおうとした時、何かを思いついたように動かしていた手を止めた。
「朋音、これをみてくれ」
 ハンカチをもう一度広げて、朋音の目の前へと持っていく。
「もう一度するの?」
「今度は朋音のためにな」
 ハンカチを表裏に返しながら、先程行った時と同じく、「タネも仕掛けもありません」と言ってから素早く片方の手に乗せる。こんな手品など、大人からして見れば簡単なトリックのはずなのに、朋音は子どものように期待を込めた目をしながらワクワクとした表情でハンカチを見つめ始める。
 絶世の美女の、子供のような姿。
 彼女の驚く顔を想像しながら、仁樹は囁くように彼女へ自分の想いを伝えた。
「愛してる―――……」
 同時に、ハンカチを素早く取り除く。
「わぁ……!」
 仁樹の手には、一輪の――――、ピンクのマーガレットが咲いていた。
「他にもいろんな種類の花を買ったんだが……、やっぱり、朋音にはマーガレットが一番似合う」
 愛を伝えるなら薔薇が一番代表的であろうが、それよりもマーガレットといった可愛らしい花の方が彼女には似合う。造花ではあるが、それでも本物のような造りをしたそれを朋音の顔の傍へと持っていくと、彼女は途端に顔を赤くしていた。多くの人から「綺麗」「可愛い」などと言われ続けてきた彼女だが、どうしても慣れないらしい。褒め言葉を貰うたびに照れて、恥じらい、耳まで真っ赤にして顔を手で隠す。いまだって、手で隠してはいないが恥ずかしそうに目線を下に向けていた。
「造花だけど、受け取ってくれるか?」
 いまは造花だけれども。次は必ず、本物を渡すことを心に誓いながら、彼女へと差し出した。
 マーガレットの花言葉は「恋占い」。「信頼」――――、
 そして、『真実の愛』―――。
 仁樹が朋音に送る想いは、偽物ではない。偽りのない、誠の愛。一途の愛。

 仁樹は朋音を愛している。朋音にしか心を奪わせないし、差し出さない。
 仁樹にとってこの全世界で一番、愛おしき存在。彼女へと送る愛も彼女から受け取る愛も誰にも渡すつもりはない。
 盗まれるつもりもない。壊されるつもりも砕くつもりもない。
 絶対に裏切らない想い。彼女への純粋で、情熱的で、穢れのない想い。
 例え、この身が焼かれ刺され殺されても変わることはない。

『揺ぎ無き愛』―――……。

「はい……」
 いまだに目線は下を見続けるものの、差し出されるマーガレットを受け取り、両手で包み込むように胸元に持っていく。本当に、増加であることが勿体無いかのように、マーガレットは彼女の恥ずかしくも、とても嬉しそうな顔に良く似合う。
 残りの造花は帰ってから彼女に見せてあげよう。色とりどりの花に囲まれる彼女を想像しながら、今度こそハンカチを綺麗に畳み、鞄へとしまう。
「そうだ」
 ―――ハンカチ。買わないと。
 自分のではなく、朋音のハンカチを、だ。
 仁樹は先月、彼女が以前気に入って買ったハンカチを血で汚してしまった。時間が経って固まってしまった血は落ちづらく、一生懸命洗っても色素が残ってしまい、仁樹は見るたびに申し訳なさでいっぱいになるのだ。
 朋音は、血の跡気については全く気にしてはいない。むしろ、ハンカチの役目を果たしたのだ、ともっともらしい正論で返してくるのだが、いかんせん仁樹は気にしてしまう。
 この後、何処に行こうか悩んでいたところだ。彼女に合うハンカチを探すことを中心に服屋や雑貨屋を見て周ろう。いまなお、嬉しそうに花を見つめる彼女へ仁樹が手を差し出すと、朋音は大事そうに肩から掛けている鞄にマーガレットの花を外からでも見えるように差し込んだでから、その手を握った。
「落とさないようにしないと」
「落としても、またプレゼントするぞ」
「ううん。これは、この瞬間に貰ったプレゼント。絶対に失くしたくない――」
 その瞬間、その一瞬の時間を大切に、愛しく思う彼女にとって造花一輪でもかけがえのないもの。愛しい人から貰ったプレゼントを、何処か自慢げに見せている。
 その姿が、仁樹にとっては愛おしい―――……。
「それじゃァ、時間まで……」
「いっぱい楽しもう!」
 手は勿論、指を絡めた恋人つなぎ。彼らもまた、先程の親子のように公園の入り口を目指し、多くの人が行きかう街の世界へと歩いていく。お互い、誰が見ても「幸せ」以外感じさせない。不思議と心が温まってしまうような、そんな雰囲気を漂わせながら、二人っきりの時間を過ごす為に歩いていく。

 仁樹の歩みは、ゆっくりで。朋音に合わせて歩いていく――――……。





















 ただ、一つ。気になる事がある。
 仁樹が幼き少女に渡した造花――――、フクジュソウだが、
 彼は〝まだある花言葉〟の存在もわかっていて差し出していたのであろうか。

 フクジュソウの花言葉は「幸せを招く」。「永久の幸福」―――……

『〝悲しき思い出〟』―――――……。

 それは、彼女のことについてか。
 それとも、自分のことについてか。

 それは、仁樹にしかわからない――――……。








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