神と罪のカルマ2 『辛い』ディナーを召し上がれsecond【05】



「関西風?それとも、広島風?」
「関西風にするつもり。全員ひっくり返しやすいしな」
 特にチャレンジ精神旺盛の灯真はやりたがるであろう。てこを両手に、好奇心と緊張感を持った神妙な表情でホットプレートに向き合う弟が容易に想像できる。
 デートを思う存分に楽しんだ二人は夕方、博士の自宅がある住宅地の方へ向かう途中にある最寄りのスーパーにてお好み焼の材料を買っていた。自動ドアを通り入口から順に置いてあるキャベツ、紅ショウガと必要な食材をカートの籠に入れ、いまは精肉コーナーで立ち止まっている。
「博士ん家、酒はビールしかねェから、サワーとか買っていこうぜ」
「う~、ごめんなさい……」
「飲めなくても、朋音は悪くねェだろ?」
 朋音にとって、飲めなくはないのだがビールは苦手の部類に入る。だが、仁樹のいう通り悪いことではない。その苦みがいつか美味しく感じるかどうかは人それぞれだ。それでもとなりで申し訳なさそうに眉を下げる彼女に、仁樹はお目当ての肉を籠へと入れながら「サワーも酒。一緒に飲めるだろ?」と言った。決して面倒臭がった言い方ではなく、純粋に彼女と酒を飲める楽しさが伝わる口調に朋音は下げていた眉を元に戻して嬉しそうに口元を微笑ませた。
「仁樹君は優しいよね」
「俺が優しいのは朋音だけだ」
「ふふふ、嘘ばっかり」
 本人が否定しようとも、彼の優しさは朋音の目には多く映っている。仁樹自身面倒見が良く、困っている人を放っておけない性格だ。例え相手が朋音でなくても家族や友人、今日の昼に出会った少女のような人たちでも彼はその優しさを見せる。
 容姿鍛錬で頼もしく、話をしっかりと聞いて気遣いができる。料理が上手で趣味。
 自分が疲れていようとも自分の自由な時間は彼女に注ぐ、一途で『揺ぎ無い愛』。
『理想過ぎる男性』。それが朋音が務める職場の方々につけられた仁樹の肩書きである。
「博士のお家に灯真君用のジュースはあるのかな?」
「あァ、さっき切れて無いらしい。買っていかないとな」
 二人のルートでは入口から店を周って一番最後の場所に飲料水コーナーがある。精肉コーナーから二人は鮮魚コーナーに移動し、彼らのヒーローである海琉のためにイカやエビといった海鮮食材を籠に入れて続いて小麦粉が置いてある場所へと向かう。料理人である仁樹のプライドからか水と卵を加えるだけでお手軽にできる生地のお好み焼きではなく、小麦粉や長いもといった本格的な生地のお好み焼きを作るらしい。いつも愛用している小麦粉を見つけ、籠に入れる。鰹節も買っていこうと隣の棚に向かおうとした時、コーナーの案内板を見ていたらしい朋音が提案してきた。
「ねぇ、お菓子も買っていかない?」
「お菓子?」
「ほら、今日は大安売りの日みたい」
 確かにお菓子の欄には赤い字で「大安売り」の紙が貼られている。丁度部屋に置いてあるお菓子が無くなっていたことを仁樹は思い出し、彼女の提案に頷いたあと目的の鰹節を籠に入れてから二人はお菓子コーナーへと足を向けた。
「仁樹君はゴマのお煎餅だよね。お塩味も買う?」
「塩も欲しい。朋音はチョコクッキーとマシュマロだよな。マシュマロはいつものと……新しい味も買うか」
「新しいの出てたの? 欲しい!」
 お菓子コーナーに着いた途端、互いに自分のよりも先に相手の好きなお菓子を探し出してそれぞれどの味を買うか尋ね合う。新商品を見つけては見せ合い、互いに興味を持って籠へと入れていく。そんな彼らの姿は二十歳を過ぎた社会人であっても傍から見れば子どものように見えてしまうが、当の本人たちはそんなことに気づくことなく無邪気にお菓子を選びあっていた。
 しかし、彼らもいくら子どものように選んでいても買い過ぎは良くないことはしっかりと理解している大人である。籠に山となったお菓子から今度は何を諦めるか。お菓子の山を見ながらお互い、口元に手を当てて悩み始める。
 その時、彼女の後ろから小さな笑い声が聞こえてきた。その声に朋音は振り向き、仁樹は身体を少し横に傾ける。年配の女性が一人。口元と目元に皺を寄せながら、二人へにっこりと微笑んでいた。
「仲がいいんだねぇ」
「あ、ごめんなさい。騒がしくて」
「いいのいいのぉ。御二人の様子を見ていると、何だか微笑ましくてねぇ」
 慌てて頭を下げて謝る朋音に手を振る女性は優しい口調で話し掛けてきた。手に持つ籠には金平糖や煎餅、おかきといった和菓子を中心とした品々が入っているのが見える。
 仁樹と朋音。この二人の仲睦まじいの姿を見た時に人々はこの女性と同じような反応を示すことが多い。それは純粋にとても『幸せ』そうな表情や雰囲気を二人が漂わせているからであり、一時の感情からではない『想い』を持つ彼らを見ていると妬みを感じることが殆ど無いのである。
「とても綺麗で可愛らしい女の子だねぇ」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます~……」
 綺麗な容姿に可愛らしい行動、といった意味だろう。仁樹は朋音が褒められたことを自分のことのように喜んで微笑むが当の本人は耳まで赤くして照れていた。嬉しそうにお礼を言う仁樹と照れた状態でお礼を言う朋音の様子を交互に見ながら女性は口元に手を当てて、ふふっと短く笑った。。
「ご結婚は……されているのかしら?」
「け、結婚ですか?」
 突然の質問に朋音の赤い顔がさらに真っ赤になっていく。ここまできたらお湯を沸かせるのではないか、と彼女の照れた姿を見ながら仁樹は自然に隣へと移動し、その肩に手を置いて自分の方へと引き寄せた。
「〝まだ〟結婚はしていません。真剣に結婚前提のお付き合いをさせて頂いています」
「はうっ!」
 最初の部分を当然のように強調して仁樹は答える。と、どうやら恥ずかしさでとうとう顔を上げることさえもままならなくなった朋音は両手で顔を覆い隠しながら下を向いてしまった。そんな二人の様子に「まぁまぁ」と言いながらゆったりと女性が微笑んだ。
「素敵な彼氏さんですこと」
「俺なんか全然ですよ」
「そんなご謙遜なさらずに。こんなにも想って貰えるなんて彼女さんは幸せねぇ」
「はい……」
 目が合わせられなくても返事はしっかりするのが朋音であり、顔を隠しながら何度も頷いた。すると、女性の後方から「おばーちゃーん!」と呼ぶ子どもの声が聞えてきた。声に反応して振り向きながら「あらあら」と手を上げる彼女に三つになるかならないかの小さな男の子が駆け寄ってくる。きっと彼女の孫であろう。小さな手で祖母のゆったりとした服を引っ張り始めた。
「おかあさんがいくよーだって!」
「わかったよぉ。……それでは、突然ごめんなさいねぇ」
 再びこちらに振り向き、お辞儀をする彼女にこちらも「いえいえ」と頭を下げる。
「ほら、いこー!」
 服の裾を引っ張っていた手を放し、今度は祖母の手を引っ張るように男の子はいま来た方へと進み始める。彼女は歩きながら仁樹たちに再び一礼した後、皺のあるその手で優しく子どもの手を包んだ。そして、孫に引っ張られながらもゆっくりと孫の母親がいる場所へ歩いて行った。
「……」
 その後ろ姿を仁樹は数秒の間見つめる。

『〝―――――〟』

「仁樹君?」
「……あァ?」
 自分を呼ぶ彼女の声が飛んでいた意識を呼び戻す。
 赤色が引いたのであろう。顔全部を覆っていた両手を胸元に置いて覗き込むように朋音が首を傾げていた。
 美しいブラウンの瞳に仁樹の顔が映る。
「あァ、わりィ。ちょっとぼーっとしていた」
「それなら、いいんだけど」
 ほっとしたように微笑む朋音。だが、彼女は気付いているのであろう。お互いを想うが故に、お互いを見ている二人。仁樹が朋音の些細なことでも気付くように、朋音もまた仁樹の些細なことでも気付いてしまう。しかし、それでもいま必要以上に追求してこないのは彼女の優しさである。それも直感なのであろうか。もしこの時、仁樹にとって抱えきれないものであったなら彼女は見過ごすことはしない。そして、不思議とそれは仁樹も同様であった。
 仁樹は彼女の肩から手を放し、流れるように今度は手を取って指を絡めて握った。所謂、恋人つなぎだ。
「ところで。さっきのは意地悪過ぎたか?」
 ニッと悪戯顔で笑いながら朋音に問うと思い出したのか先程までとはいかないが顔を若干赤くさせ、上目遣いで睨んできた。しかし、全然といって怖くはない。寧ろ可愛くて仕方が無いのが現実である。
「仁樹君の意地悪」
「あれ? 俺は優しいんじゃなかったのか?」
「意地悪……」
 むー、と頬を膨らませる朋音。
「わりィ。ごめん。揶揄い過ぎた」
 どうやら揶揄い過ぎてしまったようで。素直に彼女へと謝ると満足したのか、「分かればよろしい」と頬を直してからいつもの綺麗な笑顔を見せてくれた。
 滅多に怒らない彼女だが沸点が高い分本気に怒らせるとそれは凄く、大粒の涙を流しながら普段では考えられない大声で怒り始めてしまう。それも真剣な眼差しであるものだから相手は一瞬怯んでしまう。
 ―――それでも、〝自分の為〟には怒らないんだよな。
 参ったという顔で笑いながら過去に彼女を『本気に怒らせた』時のことを思い出す。
『〝許さないから!!〟』
 あの時。始めて彼女から平手打ちをされた。
 叩かれた頬を触りながら、一生忘れることは無い彼女の姿を見ることしかできなかった。
 綺麗なその瞳に多くの涙を浮かべ、白いその手を強く握り締めて込みあがる全ての感情をぶつけるように放った姿を。
 ―――本当にごめんな。
〝もう二度とあんなことはしないから〟、と約束することができない。どうしてもできない。
 それは彼女を―――朋音を愛しているから。『揺ぎ無い愛』を誓っているから……。


 スーパーにて必要な材料を買い終わった二人は夕方の町を歩き、博士の家へ到着した。
 見慣れた白い外壁の一軒家はこの辺りでは大きい方で、仁樹が押してチャイムを鳴らしたインターホンは来客の姿を液晶画面に高画質で映し出す最新型。防犯カメラも二か所設置されている。鍵も案の定、正面玄関と裏口それぞれ二つずつ。窓も全て防犯ガラスと、なんとも防犯意識の強い家だろうか。ここで番犬もいれば完璧なのだが、残念ながら諸事情により飼うことができないらしい。
《はい!》
 チャイムの音が響き、暫くしてインターホンから子ども特有の高い声が聞えてきた。灯真だ。
「兄ちゃんと姉ちゃん来たぞォ」
《はーい! いまあけまーす!》
 訪問者が夕飯の約束していた兄たちだと知るとインターホン越しでも分かるような嬉しそうな声が返ってきた。その後、すぐに家の中から子どもの走る音が自分たちへと近づいてくる。
 ―――だから、走るなって言ってんのに……。
 灯真の癖なのだろう。仁樹自身も悪い癖を持っているために強くは言えないが、家の中には危険が多い。走って滑って転ぶこともあれば、何かに頭をぶつけて怪我をする恐れがある。
 やはり注意するべきかと思うがせっかく久しぶりに集まる夕食前に気分を落とさせることは言うべきではないだろう。そう考えている内に鍵の開く音が二回聞え、扉が開かれた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん! いらっしゃーい!」
 開かれた扉を手前に引っ張ると灯真が声同様に嬉しそうな顔で仁樹たちをお出迎えをしてきた。
 ―――今度にしよう。
 そんな弟の顔を見て、人知れず仁樹は決めたのであった。
「こんばんは。灯真くん、お邪魔します」
「どうぞどうぞ~、入っておくつろぎください!」
 灯真の視線に合わせるよう膝を曲げ、頭を下げて挨拶する朋音に灯真もまた深々と頭を下げる。この時、灯真の髪が濡れていることに仁樹は気が付いた。また、よく見ると弟の姿は昼間の街中で見つけた時の服装ではなく半そで短パンといった夏のパジャマを着ている。肩にかけているタオルがまだ湿っていることから、先ほどまで風呂に入っていたであろうことが推測できる。
「おぉ。来たな」
 朋音と共に家の中へお邪魔すると、今度はこの家の主が一つの部屋の中から現れて彼らを歓迎した。
「よォ、博士」
「こんばんは。お邪魔します」
 仁樹は手を上げ、朋音は一礼。
「博士」と呼ばれた家主、財峨健一(ざいがけんいち)は仁樹の専門医にして灯真の父親にあたる人物である。彼は仕事時に必ず白衣を着用するのだが、本日は仕事を入れなかったか早めに終わらせたのであろう。半袖シャツといった所謂クールビズ姿でいつものブランド物の眼鏡を掛けてはいるが髭は綺麗に整えられていた。先月の忙し過ぎて疲れた彼の姿を知っている仁樹にとっては面白すぎる差である。
「今日は楽しもうな……と、その前に。仁樹頼みがある」
「どうした?」
「灯真の服を代わりに洗ってくれないか?」
「はァ?」
 靴を脱ぐために買ってきた食材の袋を一旦床に置いた仁樹に博士は家の中へと指を差しながら言った。
 指差した方向には風呂場。つまり、洗濯機が置かれている脱衣所があるわけで。別に洗うことは問題ないのだが何故突然と、少々混乱した状態に陥ってしまった。……が、しかし。仁樹の目の前にいる博士が一瞬鼻を啜ったことで直ぐに答えへと辿り着くことができた。
 傍で自分が靴を脱ぐのを待っている灯真の方へと顔を向ける。
「灯真。猫、触ってきたか?」
「うん! あそんでだっこもしてきた!」
 元気の良い答えが返ってきた。
「遊んでくるのはいいのだがな……」
 察しの通り、博士は猫アレルギーである。先程の鼻を啜る音、つまり鼻水は彼の愛息子が遊んで抱っこもしてきたという猫の毛や唾液が原因で灯真の全身に付着しているそれらに身の危険を感じた博士は風呂へ入るよう促し、いまに至るといったところだろうか。
「猫は好きなんだぞ……。大好きなんだぞ、ホント……」
「好きなのに触れないって難儀な身体だよな」
 取りあえず家に上がろうと再び靴を脱ごうとした。その時、チャイムの音が家の中で鳴り渡った。
 丁度まだ靴を履いていたため脱ごうとしていた体制を直し、扉についているドアスコープから訪問者が誰であるか覗き見る。
 海琉だ。訪問者は夕食の約束をしていた親友であった。
 家に一度帰ったのであろう。こちらも昼間に来ていたいつものジャージ姿ではなく、カジュアルな服装に変わっていた。扉を開け、「よォ」と短く挨拶をするとあちらも「やぁ」と同じく短く返してくる。
「お邪魔しまーす!」
「かいるお兄ちゃん、いらっしゃーい!」
「あぁ、よく来たな」
 先程の仁樹たちと同様に海琉の訪問を博士と灯真が歓迎する。
「海琉君。こんばんは」
「こんばんは、朋音ちゃん。これ、みんなへのお土産ね。俺だけ手ぶらになっちゃうからケーキ買ってきちゃった」
「わぁ! ありがとう!」
「わーい! ケーキだ! かいるお兄ちゃんありがとう!!」
 海琉が手渡してきた白い箱の中身の正体がケーキだと知ると、朋音と灯真は目を輝かせて喜び始めた。
「食費代後で分けるって話だったのに、なんかわりィなァ……」
「気にしないでよ。それにこれ『詫び』でもあるんだ」
 バツ悪そうに頭を掻く仁樹に海琉は眉を八の字にして笑う。すると、灯真と一緒に目を輝かせていた朋音が顔を上げて海琉の方へと向ける。
「海琉君。華花菜は後から来るのかな?」
 華花菜―――。
 彼女は海琉をそのまま女性にした顔を持つ、彼の片割れ。つまりは海琉の双子の妹。
 そして、縁 朋音の人生で唯一無二の親友でもある。
「う~ん、実は華花菜なんだけど……」
 海琉と華花菜。二人は男女の兄妹でありながらも生まれた時から高校を卒業するまで殆ど一緒に行動していた程、非常に仲がいい双子である。社会人となったいまでも昔ほどではないが共に出掛けることが多いため、今回の集まりにも二人一緒に来ると思っていたのであろう。しかし、飛田兄妹の片方である海琉はこれまたバツ悪そうに笑いながら頬掻いて口を開く。
「ちょっと仕事が残っちゃって……、あとでメッセージ送るって言ってたけど……」
 申し訳なさそうに話す海琉とタイミングを合わせたかのように朋音の持つ鞄から着信音がなった。
 それに気づいた朋音は灯真に箱を渡し、断りを入れてからアイフォンを取り出す。黒い画面上にはいま海琉のいったとおり華花菜からのメッセージが表示されていた。
「……そっか~」
「朋音……」
 メッセージを読んであからさまに肩を落とす朋音。そんな彼女を慰めるように声を掛け、仁樹は肩に手を置いた。この様子だと「残業が多くて行けないかもしれない」といったメッセージが届いたのであろう。久しぶりに親友と沢山話すのだ、と楽しみにしていた予定が「残業」によって一瞬にして奪われたのであるから朋音も華花菜も可愛そうで仕方が無い。
「お姉ちゃん、元気出して~」
 落ち込む朋音を灯真が見上げながら必死に慰める。そんな弟へ朋音は顔を向け、ほほ笑みながら「そうだね」と返した。
「ありがとう。ごめんね? 折角のお食事会でこんな顔しちゃ駄目だよね? 華花菜が来れないことは凄く残念だけど、それだけ華花菜の力がみなさんに必要だってことなんだもんね。親友として誇りに持たなくちゃ……」
 自分一人の感情で台無しにしてはならない。なんとも彼女らしい考えだろうか。未だに心配そうに見つめる灯真の頭を優しく撫でながら鞄にアイフォンを戻す。仁樹はそんな彼女へ一つだけ気になることを尋ねた。
「因みに、『残業出来た。ごめん』って感じだったのか?」
「うん。残業内容は先輩が溜めていた過去の資料整理みたいだよ~」
「さぁ、いつまでも玄関にいないで移動しよう」
 いつの間にか床に置いていたはずの食材の袋を手に持っていた博士がキッチンのある部屋へと向かって歩き出した。それに続いて朋音と灯真も歩き始め、内心まだ落ち込んでいるかもしれない朋音を気遣ってか灯真は朋音を見上げ明るい声で話しかけた。
「お姉ちゃん!落ち込まないで! ぼくね、お姉ちゃんにプレゼントがあるんだよ!」
「プレゼント?」
 朋音が首を傾げながら聞き返すと灯真はうん!、と大きく頷く。
「どんなもの~?」
「まだナーイショ!」
「え~!」
 灯真の明るい声に釣られ、朋音もまた徐々に明るい声になっていく。そんな彼女の声をやっと脱ぐことができた靴を揃えて並べながら仁樹は海琉と聞いていた。

「本当に楽しみにしてたんだろうね……。華花菜、凄く申し訳なさそうにしてたよ」
「別にあいつが悪いわけじゃねェだろ。それにしても凄い〝『嘘』〟だな」
「多分。華花菜のことだから、『とんでもない量の仕事溜め込んでたとんでもない先輩のせいで~』って感じで書いてたんだと思うよ」
 靴を脱いだ二人であったが、その場から動くことなく再び立ち話を始め出した。双子の片割れが言うのだからそういったメッセージであったのであろう。相変わらず可愛そうな先輩だ、と無茶振りな原因とされる不憫な華花菜の先輩刑事に同情をしながら仁樹は口を開く。
「で。実際は?」
「……」
 その言葉に海琉は一度その瞳を閉じた。長くは閉じてはいない。たったの数秒だ。だが、再び開かれた彼の瞳には先程のような優しさは一切含まれていなかった……。
 真剣な眼差し……いや、悪を許さない――『正義』を込めた眼差し。それは仁樹が予想していた『考え』が正しいと証明することとなる。
「〝殺人事件〟か……」

 昨日。時刻は昼頃。
 一人の少女の死体が林の中で発見された―――。

 今朝、インターネットのニュースにてその事件のことを仁樹は知った。勿論、仁樹たちの部屋にもテレビは置かれているのだから朝のニュース番組を見ればわざわざスマートフォンで見なくても簡単に情報は入ってくるのだが、『殺人』についてのニュースだけはいつもスマートフォンを通して情報を得ている。
 そうしなければ彼女が―――、朋音が〝傷付いてしまうから〟……。

 彼女は、『世界を愛している』―――。
 それは使命や運命などといった簡単な言葉では表せないぐらいに。自分の全く知らない存在にもその瞳から涙を流してしまう。
 その為に仁樹は極力、事件など人が傷付いたニュースを彼女の耳に入れないように常に気を配っているのだ。

 世界を愛することをやめれば傷つくことはないのに―――。

 それは彼女自身が最も分かっている。分かっているのに、やめることをしない。
 やめられないのだ。
 人が呼吸をするように。血を巡らせる心臓の動きのように。
 人間が生きていくために意識的ではなく無意識に身体が動くように。

 彼女の本能が止めようとしない。

 美しくも己の身を亡ぼす可能性を持った愛―――。

 仁樹は彼女の愛を否定するつもりはない。仁樹自身もその『愛』で〝救われたのだから〟。……だが、理性では抑えることのできないその重すぎる愛を持つ彼女を想うと考えられずにはいられない。
 朋音は、人が人生で流す倍の涙を流していかなければならない。
 誰かのために泣けることは素晴らしいことだと人は言うが、それは相手を想うが故に溢れる『感情』によるもの。
『感情』――――。
 嬉しさ、寂しさ、愛おしさ―――。
 世界は人間と同じく自分勝手で理不尽である。故に人間の愚かさを因果応報という形で裁きはするが、愚かな行為をする前の人間を止めることはしない。もし世界が愚かな行為の前に「ストップ」と遮る手を出してくれればこの世界はもっと違う方向へと歩めたのであろうが、そんなことは現実に起きはしない。
 そんな世界の中。彼女はどれだけの『感情』を自分ではない人のために溢れさせてきたのであろうか。
 どれほどの〝『悲しい』という涙〟を共鳴するかのように瞳から流してきたのであろうか。
『強い子だけど……〝無敵じゃない〟』
 数年前、始めてあった時の『彼』の言葉を想い出す。
 朋音は多くの涙を流すけれども屈することは無い、〝『精神(こころ)』の強い〟人間。その愛のせいで多く『悲しみ』を感じてしまうが、狂って心が病に侵されることは無い。自分の『命』を捨てるといった愚かな行為はしない。
 つまり、彼女は逃げないのだ。
 生きることの大切さを。責任があることとを。命を繋ぐ理を。愛を乗り越えるたびに道を踏み外すことなく彼女は学び、理解していく。そして苦しくとも真っ直ぐに、与えられた生を全うする道を選んで歩いていく。
 ……しかし。『彼』のいうとおり、彼女は〝無敵ではない〟のだ。
 いつか……彼女が乗り越えられない愛が目の前に現れてしまったら、彼女はどうなってしまうのであろうか。
 彼女の精神(こころ)が強い分、その時が来ることが一番怖い。慈愛に満ちて輝くその心がボロボロと崩れていくところなど見たくはない。
 こんなにも彼女は世界を愛しているのだから。頼むから遊び半分で傷つけないでくれ、と。自分のような存在の言うことなど世界が聞いてくれることなど無いのは分かっているのに。
 それでも、仁樹はこの世界へ訴え続けるのだ。

 彼女をこれ以上悲しませないでくれ、と―――……。
 






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