神と罪のカルマ2 『辛い』ディナーを召し上がれsecond【06】



 数時間ほど時は戻る。
「う、嘘でしょ……!」
 工場跡地の一室の入口付近にて女子の集団の一人が信じられないものを見るかのように声を震えさせながら呟いた。
 実際。その言葉の通り、彼女の目の前にはまさに〝信じられないもの〟が広がっていた。
「ゔ、うぅ……」
「で、どうよ?」
 喧嘩中に被ったであろうツギハギ柄のニット帽を手で直しながら青年は大胆不敵に笑う。
 汗はかくにせよ怪我らしきものが一切見当たらない彼の足元には先程まで殺す気で襲い掛かっていった男たちが短い呻き声をあげながら力なく倒れていた。それも最初の倍の人数だ。元々、この跡地で集合する予定であった他の仲間もこの騒ぎを外で聞きつけ途中で参戦したのである。
 それにも関わらず、だ。男たちは青年に傷を負わせることができなかった。不意に近い一斉攻撃で始まったはずなのに青年は一切の焦りも見せず、次々と繰り出される凶器による嵐をいとも容易く無駄の動きによってかわしていった。勿論、かわすだけでは相手は疲労するだけで呻き声なんかあげはしないだろう。かわすことと同じく青年は無駄の動きの無い反撃を繰りだした。
 青年の攻撃の仕方もそうだが彼自身の力の強さや策略は男たちの想像容易に超えていた。獲物を握って振り落した腕は必ず青年の流れるような動きで摘まれ、鋭い一撃の蹴りをお見舞いされては怯んでしまう。そして、その瞬間を逃すことなく青年は獲物を奪っていくが、彼の設定した『勝負内容』では「武器使用禁止」とされている為か割れた窓ガラスから奪った獲物たちを放り投げていく。自分たちの獲物が無くなってからは部屋の中にあったものを使って応戦していくが、奪う捨てるの流れは変わることなく最後には武器になりそうなものは無くなり拳と蹴りの肉弾戦となった。
 しかし、結果は惨敗。
「ぐ、ぐそっ……!」
 どうしてだ、と。倒れる男たちの中からこのチームのリーダーであるヒトキ―― 一気は自分たちを踏まない様に避けて歩く青年の後姿を力無きながらも睨みつけた。
 最強なる自分が負けた。多くの仲間を引き連れ、その腕の強さで挑戦してくる奴らを全員完膚なきまでに叩きのめしてきた自分がこんな狂った奴一人に負けてしまった。そんなはずはない。そんなことあり得るわけがない。だが、そんな男の思いとは裏腹に現実は置いてあったスポーツドリンクをガブ飲みする青年へと『勝利の名』を渡していた。
 肉弾戦は青年のステージであったといっても間違いない。青年は多数相手の戦い方を心得ていた。多数で攻撃を仕掛けるということは少しのミスでも味方に傷を負わせてしまう可能性があるということだ。そして、何より彼らの攻撃の的は青年ただ一人。つまりどの方向から攻撃しても狙う標的は一人であるため、青年が正確な避け方をすれば仲間同士攻撃し合ってしまうというわけだ。
「あのクロス・カウンター的なやつ? すんげぇ綺麗に決まってたな。見たのは下からだったけど」
 濡れた口元を腕で拭い、こちらを睨み付ける一気に青年は先ほどの殴り合いの感想を呑気に述べる。
 決してイメージだけでは避けることなどできない実践によって身に付けた動きで男たちを翻弄し、自滅させていった。だが、数が減るにつれ一気はやっと多数攻撃の弱点に気づいたのか。「一人ずついけ!」と声高々に仲間たちへと命令を下した。休むごとなく一人ずつ続けて攻撃していけばこの策は通用しない。まさにその通りだ。……だが、〝策が通用しないだけであって、勝ったとは言わない〟。
「しっかし。ホントお前『リーダー』の才能ねぇのな。こんだけの人数を仲間に出来ても、それを完璧に活かせるほどの戦い方を見つけなきゃぁただのお山の大将だぜ」
 飛びかかる休み無しの攻撃など青年にとってどうってことも無かったのだ。それどころか、それ自体を想定していたのか確実に意識を飛ばす程の威力を持った攻撃を的確に急所に分類される個所へその場を全くと言っていい程動かず、気配だけを頼りに相手が襲い掛かってくる方へ向いて一人ひとりにぶつけていった。彼もまた休み無しの攻撃を行ったのだ。
 なんという化物か。いくら戦いの心得があるとしても疲労というものは必ず訪れるものだ。なのに青年の身体には人間離れした力と体力が備わっていた。いまもなお息が乱れることも無く、倒れているとはいえ敵の前で余裕に水を飲んで汗を拭う姿が目に写る。
 全てにおいて桁外れの能力を持つ青年に一体どのようにして勝てと言うのであろうか。
 その場にいるの殆ど人が諦め、この『喧嘩』の『敗北者』であることを認めようした時。たった一人だけ、ボロボロになった身体を無理矢理起こし立ち上がった。
 一気だ。次々と倒されていく中、流石はリーダーと言うべきか。一気だけは強烈な攻撃を受けながらも最後まで何度も立ち上がって青年へと向かっていった。
 リーダーとしての務め、というよりかは彼のプライドであろう。優勢でしかない状態での敗北など彼にとって恥である以外何でもない。睨んだまま大きな手を握り締め、残りの力を拳に集めるかのように集中する。対する青年は彼のそれまでの彼の様子を見ていたにも関わらず、ペットボトルを置いて腰のバックから塩飴を取り出して封を切った。
 その瞬間。一気は青年に向かって飛び込んだ。
「うおおおぉぉぉおおおお!!!!」
 完全なる勝利が無理でも敗北だけは許せない。喧嘩だけで生きてきた一気にとって、『敗北』という文字は自身の歴史にはあってはならないもの。彼はまさに言葉の通り、最後の力を振り絞り、その大きな拳を傷一つない青年の顔面へとぶつけるために雄叫びを上げながら狙いを定めた。
 ……だが。
「はいはい。元気だねー……っと!」
 虚しくも最後の攻撃は素早く姿勢を下げられ、いとも簡単に避けられてしまった。それどころか、敵が目と鼻の先にいるにも関わらず飴玉を口に含んでから一気の首を目掛けて手を伸ばしてきたではないか。青年の動きに全くついていけなかった一気はされるがままに首を片手で捕まれてしまう。
 立っている状態も保てない一気に対して、青年は含んだばかりの飴玉を歯で砕きながらゆっくりと立ち上がった。
「最後まで立ち向かってくるなんて勇敢だね~って言われたかったか? でも残念。結局のところお前は無謀だよ。自身のプライド以外何も考えていない。アリストテレスのニコマコス倫理学だっけ? 暇になった時に読んでみたけど確か第二巻第六章に「中庸」の内容があったんだよ。」
 徐々に力が入っていくことが見てわかる。何とか一気はその手を放そうと奮闘するがビクともしない。そんなことをお構いなしに青年は砕いた雨を飲み込み、口の端を上げて笑いながら話を続ける。
「何ごとも中間だよな。極端な生き方は愚かでしかない。この場合……勇気? 勇気が欠乏してしまえば怯懦であり、超過すれば無謀になる」
「……!!!?」
「やっぱり、お前は『ヒトキ』じゃないよ」
 言い切ると同時により一層な力が手に入る。もう一気は限界だ。しかし、青年はその手を放す気など全く無い。口の端を上げたまま笑い続けている。
 もはや『恐怖』以外なんでも無いこの状況に誰もが怯え、声すらまともに発することができない。だが、このまま放っておいてしまっては一気が危険にさらされた状態のまま……最悪の場合、死んでしまう。少年少女たちは顔面蒼白だ。先程まで相手が死ぬかもしれない攻撃を行っていたことなどまるで忘れてしまっている。つまりは彼らもまた実際に人が死に直面する光景を見るまで『死』という言葉や言動を軽薄に扱ってしまう年齢だったということだ。
 しかし。
「や、やめてぇえ!!」
「……!」
 誰もが怯懦で顔面蒼白の集団の中、『勇気』を振り絞って叫んだ者がいた。
 少女だ。それも多分こ彼らの仲間内で一番小柄であろう少女が悲鳴のような声で青年へと叫んだのだ。
 周りの者たちは全員少女へと視線を向ける。勿論、青年も例外ではない。それどころその声に反応をし笑うことを止め、手をそのままに青年は瞳に映る小柄な少女へと口を開いた。
「あんたが審判(レフリー)か?」
 青年の突然の問いに小柄な少女は戸惑いながらも震えた声で「う、うん」といって頷く。すると、その言葉に満足したのか青年は再び笑って掴んでいた手を放し、一気はその場に倒れた。近くにいた仲間の一人が何とか這いずって近づき彼の様態を調べる。そして、暫くして安心したような溜息を吐いた。気絶しているだけ。生きている。
「ありがとよ。審判(レフリー)してくれて。俺はどうも『喧嘩』ってものができなくてよ」
 青年は一気の首を掴んでいた方の手首を片手で押さえながら回し、定位置からずれるだけで無事であったソファーへと音を立てて座った。足を組み、困ったように眉を八の字にして笑う。しかし、どんな笑いであっても青年の笑いは少年少女たちにとって『恐怖』でしかない。
「だからさぁ。審判(レフリー)ありの条件で縛り付けの『勝負』か……『殺し合い』しか俺はできねぇわけよ」
「「「「「………!?」」」」」
 冗談には聞えない。声を出して笑っていても彼から伝わる全てが本気にしか聞こえない。起き上がることのできた男たちもその笑い声で後ずさり、少女たちもお互いに抱き合って目にいっぱいの涙を浮かべて震えている。
「さっき『中間は大事』って感じな説教しちまったけど、俺も中間ができない愚か者ってわけさ……で、審判(レフリー)?」
「は、はい!!」
 汗でへばりつくシャツの首元を引っ張りながら青年は審判(レフリー)に位置づけられた小柄な少女に再び目線を向け問いかけ、少女は裏返った声で素早く返事を返した。早く返さ無ければ何をされるかわからないといった恐怖が少女の身体を縛り付ける。
「どちらともルールは守ったことによる結果だ。この『勝負』は俺の勝ちでいいよな?」
「!?」
 だが、聞かれた問いには直ぐに返すことができなかった。当たり前だ。もしここで青年の勝利判定を出してしまったら、一気は『敗北者』になってしまう。いくら腕っぷしだけの男でも少年少女たちにとっては大切なリーダーだ。自分の言葉なんかで彼の歴史に負けを刻みたくはない。しかし、反則も何もしていない青年に「負け」と判定することはできない。そんな辻褄の合わないことをして青年が逆上してしまえば今度こそ終わりだ。
 リーダーのプライドを犠牲にするか。全員を犠牲にするか。視線が再び全て少女に集まり、判定を下す緊張感が増していく。……しかし、そんな空気も次に青年が口にした言葉で直ぐに遥か彼方へ吹っ飛んで行ってしまった。
「判定し辛いならもう一回いまからやるか? 俺はいいぞ。まだまだ体力あるから」
 腕を組んで首を傾げての提案。
 その瞬間。全員が目を大きく開いた。
「う、うわぁああ!!」
 誰かの情けない声を合図に少年少女たちは逃げ始めた。
 この状態でいまからもう一回。起き上がることさえやっとの状態の自分達にはそんなこと絶対に無理だ。それよりもあんな化物染みた青年の相手をもう二度としたくは無い。少女たちも先程のような戦いを見たくはなかった。
 結果、全員はリーダーのプライドを犠牲にすることを選んだのだ。
 少女たちは己の身を一番に部屋から走り出ていった。男たちの何人かは気絶している一気へと駆け寄って痛む身体に鞭を打ちながら急いで青年の前から立ち去っていく。途中、廊下から転んだ音や何かにぶつかる音が聞えてきたが、それでもお互いに「早くしろ」と急かさせ建物内、工場跡地から一人残らず出ていった。

「ふぅー……」
 青年は深いため息をついてソファーへと倒れこむ。体力が残っているとはいえ大人数相手に一人で戦っていたのだ。身体が疲れてしまうのは当たり前。青年は汗で気持ち悪いと感じながらも起き上がることなく、背を預けて静かに目を閉じた。
 ―――大分、消耗しちまった……。
 ここは青年にとって色々と都合がいい場所であったが、その場所取りのために捜索に使うはずであった体力と時間を消耗してしまった。流石にこの状態のままで夏の太陽の下で『ヒトキ』を探そうなどと考えはしない。だが、いままでの捜索内容から夜に捜しても『ヒトキ』は見つからないであろう。『ヒトキ』は夜の世界ではなく昼の世界に存在している、と青年は推測し始めたからだ。
「たく、バーとかクラブにいったお金返してくれよぉ……」
 夜の街に生きていると勝手に想像して捜していたためにお金の消費がとても激しかった。もし最初から昼の世界と分かっていれば所持金はいまの倍持っていたかもしれない。過去の自分に「バカヤロー」と呟く。すると、段々青年の身体を睡魔が襲ってきた。
 ―――寝よ……。
 少し睡眠をとってから夕方に捜しに行こう。夕方なら働いていた人間が家へと帰る時間だ。その時間に捜せば『ヒトキ』を見つけられるかもしれない。
 そう思いながら昼間に赤いペンで分けた地図を思い浮かべ、今日捜索する場所を大まかに決めて青年は静かに眠りの世界へと落ちていった……。








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