神と罪のカルマ2 『辛い』ディナーを召し上がれfirst【01】



「辛っ!」
「辛ーい!」
「辛いです!」
「辛過ぎだわ」
「辛いッス……」

 日本という名の国にある、とある土地のとある都会。
 そこには幅広い世代に親しまれ、昼でも夜でも客の足が決して途絶えることのない人気の料理店が存在する。
 その名も『グーテンターク』。意味は、『こんにちは』。
 店名はドイツ語だが、此処で扱う料理はすべて和・洋・中の創作料理。店の料理を口にした客人は一生その味を忘れることはないとまで言われている。
 また食べに訪れたい。新しい料理も楽しみだ。
 誇りと努力によって生まれた料理、それを愛する人々によって支えられる店。
 それが『グーテンターク』だ。

 そんなグーテンタークもお昼というピークを過ぎ、ただいま従業員たちの休憩時間となっていた。
 そして。その貴重な時間にて休憩室から「辛(から)さ」を訴える数人の若者たちの声が聞こえてくるのだ。
 若者たちということもあって、年齢は10代20代といったところだろうか。
 各々、「辛(から)い」と主張しながら口に水を流し込んで飲む者もいれば、舌を出して手を団扇のように扇ぐ者もいたりと辛さから逃れようと頑張る姿が見られる。
「そんなに辛(から)かったかい?」
 辛(から)さと戦う若者たちの姿を見て、顎に手を当てる人物が一人。
 見た目は中年。優しい顔つきの男性が苦笑しながら若者たちの食べている物について考える。
「若いから辛(から)くても大丈夫かと思ったんだけどねぇ」
「なんで『若い』と辛いのが大丈夫なんだよ!!?」
 先程から若者たちが口にしているのは辛さを代表する料理、カレーである。
 しかし。それはご家庭で出てくるようなカレー粉で作られる甘口やら中辛のようなではなく、赤々としたスープカレーのようなもの。
 この赤いスープカレーを作ったであろう5中年の男性に、一番最初に辛(から)さを訴えた若き男性従業員が突っかかる。
 雄々しいよりも荒々しい男性従業員。そんな彼とそっくりそのまま同じセリフを心中にてツッコミとしていれ、舌を水で潤している青年がいた。

 誇り高き料理人が集まる場所。そこに青年は働いていた。
 日本人の平均身長を超える長身。店内に合わせられた黒の調理服を身に着け、捲られて見える腕はとても頼もしく感じる。
 切れ長な目は漆黒の色を宿し、女性が好むであろう整った顔立ちをしている。
 そして、何よりも目が惹かれるのは髪の色だ。瞳と同じ地毛であろう漆黒の髪に、不規則に染められた金の髪。
 二色の短い髪を一番の特徴とする青年――財峨仁樹(ざいがひとき)。
 グーテンタークで日々修行に励み努力する若き料理人の一人である。

「料理長。夏に辛いものって気持ちは分かりますけど、コレは辛すぎッスよ……」
 梅雨も明け、7月。ジリジリと太陽が燃え上がり、気温も上がり夏の季節を伝えてくる。
 その為、「暑い時は辛いもの」に基づいてカレーを。
 それもグーテンターク内にて一番人気の高いパスタとコラボさせた季節限定メニュー、「カレーパスタ」を考えたらしいのだが、試食してみたらの感想がこれだ。
 彼ら、若き従業員の心の言葉をはっきりと伝えよう。
 店に出せる辛(から)さではない。
「希世(きよ)なんか痩せ我慢してますけど、涙目ッスよ」
「痩せ我慢してませんわ、仁樹先輩」
「目赤くして言われてもな」
「つーか、スパイスどのぐらい入れやがった!?」
 料理長、と仁樹から呼ばれた男性へ先程からやたらと自分に口悪く突っかかっている……と言うよりかはツッコミを入れている男性従業員。
 前髪を上げた黒縁眼鏡。その奥にある目つきの悪さと、仁樹と同じく日本人離れした長身が特徴的。
 そして、身には黒い調理服は彼もまたグーテンタークにて日々厳しき世界を生きる料理人の一人であることを意味する。
 名前は東条雅晴(とうじょうまさはる)。
 料理長と店長に拾われ、料理人歴10年以上。仁樹の先輩であり、若者グループの最年長者。
 そして料理長の右腕的努力の天才料理人とは彼のことである。
「そんなに気になるかい。雅晴?」
 その彼が眉に青筋を立てながら荒々しく詰め寄ってきているにも関わらず、料理長は気の抜けたような声で返事を返す。
「先輩。見てきた方が早いと思います」
「……そうする」
 そろそろ先輩の頭の血管が切れそうな気がしたのか。仁樹はこれ以上雅晴の地雷を踏まないように注意しながら調理室に確認してくるように促した。
「いや~。仁樹、助かったよ。雅晴は料理と奥さんのことになると周りが見えなくなるからねぇ」
「はァ……」
 物腰が柔らかいが、会話からわかるように何処かズレている。
 だが、男性が着ている自分たちとは少し異なった黒い調理服はこの店の料理長の証。
 店長と共にこのグーテンタークを作り上げ、この都会にて知らない者はいないと言わしめた本当の天才料理人。
 その姿からは想像もつかない、彼―――次屋幸司郎(つぎやこうしろう)は自分の一言一言で雅晴が怒っていることに気付いているにか気付いていないのか。
「さて、どうしたものか」とまた気の抜けた声でカレーパスタについて再び考え始めていた。
「暑いし辛し……。冷凍庫のアイス食べていい?」
「いや、先輩! それ売り物ですから!」
「冗談だって~」
 続いては少々子どもっぽい話し方をする女性と彼女の分かりやすい冗談に真面目に答える少年……ではなく、青年の二人。
 両者とも調理組とは違うが、こちらも店内に合わせて作られたであろう落ち着いた色の制服を着ていた。
 ベストにエプロン。女性はスカートで男性はズボン。二人の服装から、彼らの担当はホールであると伺える。
 女性――、七嶋美佳(ななじまみか)は雅晴と同じく仁樹の先輩であり接客態度が素晴らしいホール担当のチーフ。
 普段は元気で明るいが、焦った時やブチ切れた時には「コノヤロー」など乱暴な口調になることが特徴。
 そして、少年と見違えてしまう容姿を持つ青年――、新橋和成(しんばしかずなり)はホール担当のアルバイトで仁樹の初の後輩。
真面目さが一番の売りである二十歳間近の頑張る大学生だ。
「先輩。もし宜しければ私が手配いたしましょうか?」
 二人の冗談と真面目のやり取りを眺めていた若者グループ最後の一人が携帯を取り出しながら丁寧な口調で提案した。
 痛みなどまるでないストレートの黒髪。綺麗にそろえた前髪から見えるスゥとした鼻筋。和風美人とは正に彼女のこと。
 気品あふれる小柄な姿にホールの制服を着ている女性、天祢院財閥の令嬢――――、天祢院希世(あまねいんきよ)は、叔母である店長の自宅に下宿し、社会科見学としてグーテンタークバイトしている。
「皆様。コンビニでもなんでも言って下さいませ。10分以内には持って来させますわ」
「ホント!じゃぁ、私は……」
「希世ちゃん! またそうやって奢る癖出しちゃ駄目!」
「はっ! また、私はやってしまいました!」
「希世ちゃん、大丈夫だよ~。自分の分は自分で出すから。ただ、こんな熱い中は歩きたくなくて……」
 休憩時間であるのに誰一人として休憩していない若者従業員の慌ただしい姿。
 彼らの暑さにも負けぬ姿を、未だ辛(から)さによって悲鳴を上げる舌を我慢しながら仁樹は眺めていた。
 ―――改めて見ると、すげェ個性豊かなメンバーだなァ。
 騒がしい仕事仲間に対して、仁樹は何故か冷静に一人ひとりの特徴を分析する。
 よくよく考えてみれば、何かと漫画に近い設定、展開を持つ彼らだと思ってしまったのは嘘ではない。
 だが。そのような設定、展開なら仁樹も普通に、しかも負けない程持っているもので。
 つい先月。街を恐怖の世界に落とそうとした連続犯罪者、『死の遊び人(デスプレイヤー)』。
 赤いメッセージ以外情報がないとされていた不気味な犯罪者を仁樹は人知れずにボコボコにしたのだ。
 肉体的にも、精神的にも犯罪者を倒した彼は街を平和へと導いた、『知られざる英雄』。有名な週刊少年漫画雑誌で見かけそうな登場人物の設定、展開に思えてしまう。
 ……しかし。彼は決してそれを自負することは無い。〝自負してはならない〟。
 それは『〝仁樹の存在〟』というそのものを考えてみると自然に出てくる結果だ。漫画などの簡単な一言では片づけられない。
「……」
「仁樹?」
「……!? 先輩?」
 分析していたはずが、いつの間にか自分のことについて深く考えてしまっていたらしい。いつの間にか調理場から帰って来ていた雅晴に声を掛けられ、意識を目の前の世界に戻す。
「まーた考えことかぁ?」
「はい……」
「……俺は学歴とかねぇけどよ。話ぐらいは聞けるぞ」
「大丈夫ッスよ、本当に」
 それでもその答えに納得していないのか。雅晴は眉間に皺を少し寄せながら座っている仁樹の頭を乱暴に撫でる。彼の突然の行為に仁樹は驚いたが、払うことも無くただされるがままに撫でられ続ける。
「無理する前に話せよ」
 そう雅晴は言って、最後に軽く仁樹の頭を叩いてから騒がしい会話の輪へと入っていった。
「……あ」
 そんな彼の姿を見て、仁樹は改めて自分が『心配』されていることに気づいた。
「では、カレーとアイスをセットに出したらどうかな? 辛(から)い暑いの後に甘い冷たいってね」
「それでは、『暑い時は辛(から)いもの』には余計だと思われますわ」
「なら、帰る時に飴玉とかかな?」
「辛さを控えるって選択肢はねぇのかよ!」
 ――あ、いつもの先輩だ。
 最もらしい意見を間髪入れずにツッコミという形で入れる彼。いつもの東条雅晴の姿である。
 自分も座りっぱなしではいられない。グーテンタークの料理人として同じく意見を言わなくてはいけない。
 立ち上がり、先ほどまでの暗さを捨て、雅晴と同じく会話の輪に入って行く。
「で、コレどうすんスか? とても食えたもんじゃねェすよ」
 最初の問題は料理長が作った激辛カレーパスタをどうするか。
「林檎とか蜂蜜とかいれちゃう?」
 テーブルに置かれている中型の寸胴を指差し、美佳が真っ先にできる解決方法を提案するが、雅晴はすぐに首を振った。
「いや、もう材料とかいれんな。材料勿体ねぇ」
「たくさんスパイスやら調味料やらいれてしまったからね」
「どのぐらい入れたんスか?」
「一瓶無くなってたぞ」
「そりゃァ辛いのも当然ッスね!」
 なに考えてるんだ、この人!?、とその場にいる若者グループ全員がツッコミを入れたかった。……が、よく考えれば全員、分かることだった。
「辛さで遊びたかったから」
 料理とは探検するもの。自分が想像したものを越えるのが料理。
 その理念の元、何事も試すのは全力投球でが料理長の考えだ。
 しかし。だからと言って、その理念や考えを否定するわけではないが、実験体となる若者グループのことも考えて欲しいもので。
「仁樹」
「うッス」
「グーテンタークの従業員が守らなければならない鉄の掟。その1」
「命を捧げてくれた食材への礼儀を忘れるな」
「その2」
「本当に使えない食材以外捨てるな」
 言い終わると二人して同時に溜息を溢し、項垂れる。
「先輩……。俺、寸胴の中身見たくないッス。このまま何も見なかったことにして皿洗いしてきていいスか?」
「現実逃避すんなって。いずれ見なきゃいけねぇ現実なんだから」
「みんなに食べてもらうことになるよ」
 雅晴と料理長の逃してくれない現実発言。仁樹の舌は果たして生き延びることが出来るのだろうか。
「もちろん、料理長も食べてくださいよ!」
「当たり前じゃないか~」
「しかし、こうも辛(から)いと食べ切れる自信がありませんわ」
「まだまだあるもんね。なんか辛(から)さだけでお腹いっぱい」
 全員でテーブルに置かれた寸胴を囲み、中身を見る。皿に盛った分は減っているが、まだまだ赤々としたものが大量に残っている。
 辛(から)さに舌がやられただけでなく、それが原因で生まれた暑さや汗もあるわけで。
 休憩のはずが食事によって疲れてしまった身体に追い打ちをかけるようなカレーの量にとうとう若者グループ全員の口から溜息が零れた。
「どうした? お前たちうるさいぞ」
 若者グループの絶望と悲しみに包まれる休憩室。そんな暗い雰囲気の世界に、アルトボイスが声をかけてきた。
「あ、店長~」
 アルトボイスの正体はこのグーテンターク敏腕女店長――――、次屋沙季(つぎやさき)。
 料理長の奥様にして希世の父、天祢院財閥社長の実の妹でもある。
 その強気の経営能力と男口調が合わさったクールな女性………と、言いたいところだが、実際は経営状態が少しでも悪くなると発狂するという面倒くさい性格で。
 先月も発狂し、ホール担当チームが必死に抑えていたことはまだ従業員の記憶に新しい。
 仕事熱心なのか、仕事中毒なのか。だが、それだけ仕事に手を抜くことなく、真剣に取り組む姿は皆に信頼を持たせる。
「〝 静かで居心地の良い料理店〟をモットーなのに、お前たちがうるさくてどうする」
「「「「「…………」」」」」
 発狂するあんたが言うか、とは言ってはいけない。店長の拳は強いためで言ってはいけない。
「え~と……、店長ー。いまはお客様いませんし」
 ツッコミはしないが、客がいないということ伝え、騒いでも大丈夫ではないかと美佳が店長に伝える。
「そういう問題じゃ無いだろう。まったく……。で、何やっているんだ?」
「このカレーどうしようかって考えていたとこッス」
 頭を描きながら呆れた表情で騒ぎの発端を聞く店長に、仁樹は原因である寸胴を指差しながら言った。
「カレーをか? 皆で食べればいいじゃないか?」
「辛過ぎてムリなんスよ」
「ふむ……」
 近くにあった味見用の小皿に、お玉でカレーを淹れて口に流す店長。
「………少々辛いが、若いから大丈夫だろう」
「だからなんで『若い』と大丈夫なんだよ!!つーか、『少々』じゃねぇし!!」
 先程の雅晴のツッコミが再び。しかも、プラスした形で、だ。
「あ゙ー!! お袋はこーだし、親父はあーだし。なんでこの店経営していけてんだぁ!?」
「その親父とお袋が天才だからだ」
「そうなんスよね。見た目では考えられないんスけど……」
 その天才の証拠がこのグーテンタークだ。頼り無さそうに見えてしまう料理長も、厳しそうに見えてしまう店長も。
 隠された本性は大胆不敵な性格。そうでなければ『天才』とは呼ばれないだろう。
「まぁ、没にするにしても捨てる選択肢はないからな」
「んなもん、わかってるよ」
「でも、今日一日で食べれませ~ん」
「カレーだから、日持ちがよいのではありませんか?」
「そうだが、寸胴ってこともあって場所をとられちまう」
「お袋が全部食ってくれよ」
「一人で食べられるか、阿呆」
「なら、皆さんで持ち帰りませんか?」
 全員が悩む中、一人手を挙げて提案する和成。
「ほら、皆さんが持ってくるタッパに入れましょうよ。そして、各自、家で甘いものを入れて食べれば……」
「そうだね。それがいい!」
「寸胴も洗えるしな」
「それに皆様の夕食にもなりますわ」
「辛(から)いけど、しゃーねーか」
 全員が和成の提案に賛成した。
 グーテンタークでは担当関係なく料理の研究をしているため、自宅で調理したものを食品用タッパにいれ、店に持ってきては食べて貰い感想を貰うという仕組みがある。
 そのため、調理場には各々の食品用タッパが置かれているのだ。
「……あれ?」
 意見も一致して、若者グループが調理場に向かう中。水を一気に飲み、椅子からゆっくりと腰を上げようとした時、ふっ、と仁樹は思い出した。
「俺が最後に持ってきたのって………!!」
 思い出してからの行動は早い。すぐに足を蹴って、調理場へと走り出した。
「やべェ!!」
 ゆっくりしていたのが不覚。既に若者グループは調理場の内にて各々の食品用タッパが置かれている場所に立っていた。
「お! 仁樹のタッパでけぇじゃん!」
「遅かったァ!」
 雅晴の手には仁樹が持ってきたパックが。
「なんだ、仁樹。そんなに喰いてぇのかよ」
「全くもって思ってねェスよ!」
 前回、山葵風味の海鮮パスタを作っていれてきたタッパ。アドバイスや駄目出しを貰った後、何か急に持ち帰るときの為にと置いといていたものだ。
 しかし、大きさは他の者たちのよりも一回り近く大きい。大量に作って盛ってきたのが、仇となった。
「コレにギリギリまで入れれば、俺達の配分減るぞ!」
「させるか!」
 何が何でも危機から逃れなければならない。料理長には悪いが、あの激辛カレーを夕飯に大量に食べるのだけは勘弁したい。
 余談だが、ここで自宅でこっそり捨てるという考えをしないところはグーテンターク従業員のいいところ。
 手を伸ばし、雅晴からタッパを奪いとろうとするが、雅晴は手が届かないうちに仁樹の後ろに投げられる。
「あッ!?」
「キャッチー!」
 投げられた方向をみれば、入り口近くにて美佳が華麗にタッパを受け取り、そのまま調理場から走りながら出て行く姿が。
「しまった!」
 目的地はわかっている。あの恐ろしいカレーの寸胴が置かれている休憩室。
 仁樹は足を急回転させ、雅晴から入り口に方向転換。自分の口を守るため、休憩室に足を働かせる。
「美佳先輩ストップ!!」
 走ったといっても、休憩室と調理場の距離は近い。
 仁樹が休憩室に急カーブするように入れば、美佳の手には赤々としたものが入ったお玉が握られていた。
「するわけないじゃん!」
「してください!」
 仁樹の願いを聞き入れる気など全くなく。タッパにカレーを入れようとする動きが止まらない。
 かくなる上は、力尽くでも、と踏み出そうとしたが、その動きは何者かに動きを止められたのだ。
 ……いや。何者かではない。止める者など分かっていること。
「先輩、離れて下さい!! おい、和成も離れろ!!」
「悪ぃな。お前を押さえてないと俺の舌が危ない」
「本当にすみません、先輩!!」
 背後から羽交い絞めする雅晴に、腕で腰に巻き付く和成。
「仁樹、考えろ。犠牲は一人の方がいいだろ」
「その犠牲になりたくねェんスよ!!」
「なれよ、そのぐらい!」
 正論を言ったら自分勝手な答えが返ってきてしまった。
「美佳! 悪は俺たちが押さえている。だから早く!」
「了解!」
「悪はあんたらだ!!」
 犠牲者が決定したからか。明らかに楽しんでいる先輩たちに、必死だが為す術の無い仁樹。
 ――此処には味方はいないのか!?
 カレーとは違う悲しさに心が覆われた……が、
「こんにちは~………あれ?」
「え、あ?」
「仁樹君、何してるの?」
 予想外の声が、人物が登場してきた。

『息が止まるほど美しい』。
『美しさに心が奪われる』。
『絵にも描けない美しさ』。
 まさに仁樹の目の前にいる者―――、目の前にいる女性に相応しい言葉たちであろうか。
 光に照らされることでより一層の輝きを見せる髪。色は明るい。開かれた瞳はブラウンで美しく、純粋で、優しさを感じる。
 まつ毛は誰もが羨ましく思う程に綺麗で長い。ぷっくらと膨らんだ唇と可愛らしい桃色を帯びた頬はきっと触ると柔らかいであろう。
 服から除く肌は白さを持ち、身体は細くも女性としての魅力に溢れ整っている。
 全てが恵まれたその姿は、すれ違う者すべてが振り向く。見た者は全て見惚れてしまう。
 誰もが無垢な表情である彼女をこう表現するだろう。

 『絶世の美女』と―――……。

 彼女は彼、仁樹にとって愛しき存在。
 愛しき彼女であり、かけがえのない者――。

 縁 朋音(ゆかりともね)。
 財峨仁樹の最上で最高で最愛の恋人である―――。

「朋音? どうして?」
 突然の愛しき彼女の来訪により心を覆うとしていた悲しみは綺麗さっぱり消えてなくなったが、何故朋音がここグーテンタークに居るのか。
「ぼくもいるよー!」
 自分へとほほ笑む彼女を見開いた目で見て考えていると、今度は下の方から彼女とは違う幼い声が聞こえた。
 羽交い絞めされたまま視線をずらす仁樹。すると、仁樹の瞳には子どもの顔が―――、〝仁樹にそっくりな〟子どもの顔が映った。
 仁樹をそのまま子どもに戻したような顔立ちに、窓から吹く風によって揺らされる痛みなどまるで知らない漆黒の髪。
 二人の違う点をあげるとすれば、その切れ長な目と眉であろう。仁樹のような攻撃的ではなく、幼さゆえの柔らかさを持っていた。
 子供の名は、財峨灯真(ざいがとうま)。
 顔が彼にそっくりなのも当たり前。何を隠そう、灯真は仁樹の、歳の離れた実の弟である。
「灯真まで?」
 朋音に灯真。珍しくは無い組み合わせだが、その二人がどうしてこんな時間に自分の目の前にいるのか。
「裏口にいらっしゃったので、中に案内したのですわ」
 二人の後ろから希世が現れた。先程からの騒ぎに彼女がいなかったのは裏口に行っていたからか。少しずつ冷静になっていく頭の中で仁樹は一つ一つ浮かんでいた謎を解いていく。
「やぁ、朋音ちゃんに灯真君。こんにちは」
 先程まで、若者グループの騒ぎを楽しんで見ていた料理長が二人に挨拶し、灯真の頭を笑顔で撫で回す。
「こんにちは。お久しぶりです」
「りょーりちょー、こんにちはー!」
「はい。こんにちは。灯真君は元気だね」
「お兄ちゃんたちも元気だよー」
「元気にさせられたんだよ」
 当の本人からしてみれば「大変」「疲れる」ものも、純粋な子どもから見れば「元気」で片づけられるものだったらしい。
 実の兄の返事が理解できなかったのか。灯真はその小さい頭を傾け、そんな弟の頭を今度は店長が優しく撫でる。
 夫婦揃って子ども好きだが、料理長と店長の間には子どもはいない。雅晴とは親子のような関係だが、出会った当時の彼は既に中学を卒業していた。
 そんな子どもと中々接することのなかった二人にとって灯真はとても可愛いらしく、店に訪れた際には手が空いていれば必ず可愛がっている。
「灯真、いま学校帰りなのか?」
「そーだよー!」
「学校帰り?」
 ようやく雅晴と和時に放してもらった仁樹は店長たちに元気いっぱいで答える灯真とその姿をまるで母親のように微笑んで見ている朋音を交互に見た。
 よく見ると、朋音の服装がいつもと違うことに気付く。スカートを好む彼女だが、いまは動きやすそうなズボンを中心としたファッションをしている。
 灯真の方はその小さな背中に黒いランドセルと、こちらもジャージといった動きやすい服装。
 すると、「あッ」と仁樹は短い声を出し、今日が何の日であるかを思い出した。
「今日、小学校の参観日だったな」
「そうなの。それで、いまその帰りなの」
 灯真には母親がいない。その為、参観日などの学校行事は灯真の父、多くの人からは「博士」と呼ばれている人物が行くことが多い。
 しかし、彼もまた多忙な人物。彼がいけない場合は代わりに兄である仁樹が行くのだが、仁樹も社会人であることに変わりない。
 子どもに寂しい思いをさせたくないと困ってしまった二人。そんな二人に朋音と、仁樹の親友が提案したのだ。
『二人が行けなかったら私たちが行くよ』
 それから、博士が行けない場合は仁樹が。仁樹が行けない場合は朋音が。朋音が行けない場合は仁樹の親友が。
 これにより、灯真が参観日などで一人という寂しい思いをしないで済むようになったのだ。
「レクやったよ! なわとびとかリレーとか!」
「そうか。リレーは楽勝だっただろ?」
「うん!お姉ちゃん、はやかった!」
「おう。俺たちの学年の伝説だからな」
 リレーでの興奮が蘇ったのか。その場で手を大きく動かして感動を伝える灯真に笑いながら視線を合わせるように仁樹はしゃがんだ。
 朋音はその美しき見た目から誤解されがちだが、運動神経は想像できない程に抜群で。
 高校の全員リレーでは一人で最下位だったクラスを二位へ導いたという伝説は仁樹たちの学年にて知らない者はいない。
「ほかにもケーキ作ったよー!」
「ケーキ?」
「灯真君、ランドセルから出しちゃおうか!」
「うん!」
 ケーキとは一体。クリームと苺が飾られている丸いケーキを一瞬仁樹は想像したが、学校のレクにてそのようなものを作るわけがない。
 朋音にランドセルを持ってもらい中身を漁る灯真の姿を見て、どんなケーキか想像する仁樹。すると、お目当てのものが見つかったらしく、朋音と灯真は嬉しそうに笑い合った。
 ランドセルから取り出したものは綺麗にラッピングされた袋。それを灯真は仁樹へと差し出した。
「はーい!」
「パウンドケーキ?」
 袋に入っていたのはこちらも綺麗に切られた数枚のパウンドケーキ。
「レクで作ったんだもんね~」
「ねー!」
 どうやら、今回のレクは運動するだけではなかったらしい。
「それで。上手に出来たから、仁樹君にプレゼントしたくて」
「俺に?」
「はい、プレゼント!」
 二人で渡したかったのだろう。早く受け取ってと笑顔だが少し急かすように腕を振る灯真とその傍に仁樹と同じくしゃがみ込む朋音。
 そんな可愛らしい二人の姿に口元を緩めながら仁樹はプレゼントを受け取った。
 見た目からでもおいしそうな雰囲気を出すパウンドケーキに嬉しさが生まれる。
「でも、博士のは?」
「おとうさんのはあるよー」
「別々に用意したもんね~」
「じゃぁ、本当に貰っていいんだな?」
「わたしたくてきたんたもん!」
 今の仁樹に取っては、二人は天使に見えたに違いない。
 先程まで誰一人として味方がいなかった自分に、自分の為に作って持ってきてくれた優しさが嬉しくて眩しすぎる。
 本当に、なんて可愛い者たちであろうか。
「二人とも、ありがと──ッ!?」
 お礼の言葉を伝えたかった。自分の味方の二人に最後までしっかりと言いたかった。
 言いたかったのだが、言えなかった。
 首から派手な音が鳴っても可笑しくなさそうな程の力で押さえ倒された為に言えなかった。
「マジで!! 甘いもんか!?」
 言葉から分かるであろう。仁樹の首を押さえ倒したのは、先程仁樹で楽しんでいた雅晴大先輩様だ。
「流石、灯真~!いいもん持ってきてくれたな~!」
「先輩、俺が貰ったんスからね」
「ありがとー! さっき辛いもの食べてたの! 嬉しい!」
「だから、美佳先輩。俺のッスから」
「コレは切り分けたほうがいいですね」
「おい、和成。何、全員喰うの決定なんだよ」
「包丁持ってきますわ」
「持ってくんな、希世!」
「ケチケチすんなよー。心せめぇなー」
 誰一人として仁樹の話を聞こうとしない。
 まるで、「お前の物は俺の物」というように雅晴は仁樹の手からパウンドケーキを奪い取る。
「いいかぁ。食いもんてのは等しく分けて喰うと一番旨いんだよ」
「そうスか。なら、さっきのカレーも等しく分けましょうか」
「でも、独り占めするという違う特別な旨さもある」
 ――んなもん、知るか!
 ああ言えばこう言う。内心でツッコミを入れていると、入口の方から包丁を持ってきた希世の姿が。
「親父とお袋は喰わねぇだろー」
「あぁ、いいよ」
「なら、五等分なー」
「ちょ、先輩!」
 本気だ。本気に本人の許可なくパウンドケーキを五等分に分けようとする雅晴。
 やはり、納得いかない。雅晴を止めようと立ち上がった仁樹だった。が、その時。タッパに入った赤々としたものが視界の端に映った。
 もう一度言おう。
〝タッパ〟に入った赤々としたもの───。
「あ゙あぁぁー!!!」
 仁樹のタッパにギリギリまで入れられたら激辛カレーの姿がしっかりと目に映った。
「いつの間に!?」
「朋音ちゃんたちといい雰囲気の時に☆」
「最低だな、あんた!?」
 ウィンクしてきた美佳に本気で殺意を持ちそうになった仁樹。そんな彼に彼女は子供らしく口を膨らませる。
「もー。そうなる運命だったんだよー」
「なら、その運命に逆らうッスよ!!」
 そもそもその運命にしたのは美佳である。
「よし、切れた。喰うぞ」
「わーい!」
「わーい、じゃないっス!」
 しかし、当然のように仁樹の言葉は届かず。各々、どれにするか選びながら悩み始めた。
「あー、もうわかった! 全員で喰いましょう!けど、一番いい奴は俺のッスから!」
「はぁ! それは最年長者に譲れよ!」
「レディーファーストでしょー!」
「あ、それは僕の!」
「年下に譲ってくださいませ」
 パウンドケーキを巡る壮絶な、第三者から見てみたら呆れてしまう程に大人気ない戦いが始まった。

 そんなどうしようもない程にくだらない戦いをみる外野が四名。
「今日も元気だねぇ」
「元気なのはいいが、静かにすることも覚えてほしいな」
「げんきだめなの?」
「駄目というわけではないがな」
「元気が一番です」
 元気が一番。仁樹は同い年の仲間の中では、もちろん騒ぐこともあるが、比較的に落ち着いた人物だ。
 だが、やはり彼も若い。社会から見ればまだまだ子ども。年上に遊ばれればムキにもなるし、年下には容赦なく色々と言う。
「仁樹君が楽しんでいられるなら、元気が一番です」
「……愛だな」
「愛だね」
「あい~?」
 朋音の言葉にしみじみと「愛」という単語を口にする夫婦。その二人を見上げながら灯真は首を傾げた。
「そう、『愛』。灯真君も大きくなったらはっきりとわかるぞ~」
 しゃがみ込み、その触り心地の良い灯真の頭を優しく撫でる料理長。
「どのぐらい?」
「う~ん、料理長ぐらいかな?」
「もっとのびるよー!」
「そうか~。もっと伸びるか~!」
 無邪気にはしゃぐ灯真の姿に朋音と店長は微笑む。
「どのぐらい伸びるんだろうね?」
 ――どのぐらい伸びたら、『愛』という意味が分かるんだろうね?
 朋音は灯真に向けていた優しい目を、元気に騒ぐのグループの中心にいる仁樹へと向ける。
 仁樹君が―――……、
 彼が、『愛』を知った身長は、今より少し低い時―――……
「ふふ」
「どうした?」
「いいえ、なんでも。仁樹君、頑張れ~!!」
 大人気ない戦いを繰り広げている恋人に、朋音は声援を送った。
 そして―――、
「おう!」
 しっかりと、返事が返ってくる。








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