神と罪のカルマ オープニングfifth【04】



「はぁ、はぁ……!」
 世界は、雨に包まれている。
「くッ……!」
 視界は、悪い。わずかに生まれる音も、全てその天から落ちる水によって掻き消されてしまう。
「――ッ、ぐ、はぁ、はぁ……!」
 時刻は真夜中。人通りの少ない、暗い街の中。
 一人の女がいた。彼女は水滴が当たって跳ね返る、アスファルトの道をひたすらに走り続けていた。
 傘は差していない。髪も、顔も、服も。全てが雨によって濡れている。
 目を開けていることさえも、しんどくなってしまうような程の酷い雨。それは肌を打ち、べた付き、冷たく、身体の体温を段々と奪っていく。
「はぁ、はぁ……!!」
 いくつもの水溜まりを踏んできたために、汚れた水が靴に染み込んできて気持ち悪い。
 それに加えて服も、髪も。身体に張り付き、身動きがしづらい。
 顔は……、察しの通り。化粧で綺麗に整えていたと思われる顔は雨によって、酷い有様だ。
 それでも、女は雨宿りすることも無く、ただひたすらに足を動かし、光の少ない夜の世界を走り続ける。
「かぁッ!! はぁ……!!」
 コレといった特徴のない、仕事帰りだと思われる女。街中にいても決して目立つことはないであろう。
 本当に何処にでもいる、ありふれた女の姿。……だが、たった一か所だけ。他者とは違う箇所があるとすれば……。
〝不自然だと感じる箇所があるとすれば〟、きっと、その手に握り持つもの……。
「はぁ、はぁ――――ッ!」
 持っているものは―――、『傘』。
 何故―――、
『傘』を持つのに、〝差していないのか〟――――――。
「はぁ、はぁ……、だっ、ぁ……」
 使わないことによって、全てが台無しになっていく見た目。それでも、濡れることを構わずに女は走っていた。
 その先に何があるのか。見た目すらどうなってもいいと思えるようなものがあるのだろうか。
 ただ前へ、前へと。必死に走り続ける。
 ……いや、違う。
「だ、れ……か」
 彼女は、〝走り続けなければならない〟―――。
 走らなければ――――。

「誰かぁああああ!!!」
「止まりやがれぇぇええ!!!!」

〝終わる〟――――――。
 その場で足を止めてしまったら、全てが終わる。彼女が終わる。一秒でも止まれば、終わる。
 全力で逃げる女を追いかける存在に。
 雨の中でも、輝きを忘れない鋭い『凶器』によって。
〝刺されて、死んでしまう〟。
〝死んで、終わらせられる〟────。
「いやぁぁああああああ!!!」

「刺させろぉぉおおお!!!!」
 早く終わらせて手に入れたい。
 引くだけで簡単に人の一生を終わらさせることの出来る最高の『玩具』を。
 鋭き『凶器』―――、包丁を片手に、男は走る。逃げる女と同じく、雨の中を傘も差さないで走り続ける。
 だが、男は雨など気にしない。寒さや冷たさよりも、人を殺す快楽の方が勝っている。男の頭を支配している。
「早く死ねぇぇええ!!!!」
 顔を隠す物は何も被っていない。それは、電話の相手が全ての証拠を消してくれるからか。
 それとも、見た者すべてをその場で殺してしまおうと考えているからか。
 いや、そもそも。バレるという心配をこの男はしているのだろうか。
 後先考えず、いまこの瞬間を楽しもうと。気にもせずに包丁を振り回し続けるように見える。
「ひゃっほぉぉぉぉおおおお!!!!」
 雨だろうが。夜だろうが。住宅地だろうが。自分が連続犯罪者であろうが、何だろうが関係ない。
 ただ殺す。殺すだけ―――――。
「ぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああぁぁああああああ!!!!!!!!」
 被害者も。もし、ここにいたらとしたのなら第三者も。
 ……いや、この男を見た全ての者が思うに違いない。
 狂った人間。
『狂い人(クレイジーヒューマン)』、と─────‥‥‥
「きゃぁぁああああああ!!!!」
 女は叫ぶ。雨にも負けない声を出しながら。
 襲い掛かる恐怖から逃れようと必死に助けを求める。
「ひゃっほぉぉぉおおおお!!!!」
 男は叫ぶ。雨にも負けない声を出しながら。
 人々に恐怖を植えつける犯罪を最高に楽しんでいる。

 数時間前───……
 電話越しの相手から、男に依頼がやってきた。
 相変わらず、機械のような話し方で。依頼の内容をシンプルに、まさに一行で終わる短さで男に伝えた。
『誰でもいいから殺せ』
 内容の嬉しさのあまり、この数日で割って壊した木材をまるで、紙吹雪のように投げ上げた。
 やっと、自分の望む物が手に入る。しかも、自分がずっと我慢していた人殺しによって。
 犯罪を行えないイラつきが今日で終わる。解放される。
 それは、まるで取り上げられていた玩具を返してもらった時の子どものような。
 外に遊びに行くことをやっと許してもらった時の子供のような感覚だった。
 なんて素晴らしい日であろうか。湧き上がる嬉しさを表すように手を強く握り、天へと掲げる。全身に喜びが走り回る。
 さぁ、誰を殺そうか――――!
 感動すべきこの日に誰を狙おう。誰を祝いとして犠牲にしよう。
 男にとって気持ち悪くて仕方が無い人ごみの中で。うじゃうじゃと歩き回る人間を避けて歩きながら。
 大雨であるにも関わらず、傘を差さずに。肉とする鶏を選ぶような目で選び続けた。
 選び続けて、続けて、続けて───……、決めた。
 目の前を通り過ぎた。一日中仕事に追われ、疲れ切った顔をした女。
 疲れ切った顔を恐怖に変えてみよっか……――――。
 適当に……。特別に美人なわけでも、スタイルがいいわけでもない。何処にでもいるような普通の女を。
 普通に仕事に行き、普通に恋をして、普通に生きていきそうな普通の存在を。
 ターゲットに選んだ理由はただそれだけ。ただ、それだけだった。

 随分と走り続けている二人。足が速い男に、未だ捕まらないとなると女の方も相当足が速いと窺える。
 だが、所詮は男と女。体力の差が生まれる。
 しかも、大雨の中で繰り広げられているため、体力の消費はお互いに激しいはずだ。
 ……それなのに、男の方は体力の消費を感じさせない。それどころか段々距離を縮めている。
 それでも捕まるまい、と必死に足を動かし、女は男との距離を作ろうと走り続ける。
 そして……、運命とは残酷なもの。軽く言ってしまえば、気まぐれなもの。
「……!?」
 だんだんと距離が縮まっていく中で。いくつ目か分からない水溜まりを踏んだ瞬間、女は足を滑らせた。
 なんという不幸か。必死に、転ばないように身体を動かし踏ん張ろうとするが叶わず。
 バランスを保つために頑張っていた身体は、走っていた時の勢いと濡れた道によって前のめりに倒れこんでしまった。
 その瞬間を男は逃さない。
「やっぱ、えらばれたんだぁぁああああああ!!!!」
 運命が自分の味方をしたのだ、と。口の端を限界まで引き上げる。目が飛び出すかの如く、見開く。
 疲れを見せない片足で濡れている道を力強く蹴った。
 そして。その勢いのまま、立ち上がって体制を整えようとする女へと突進したのだ。
「っ……!?」
 大の男による突進に、女が耐えきれる訳がない。
 ふらつきながら、身体に鞭を打って立ち上がった女の身体は再びアスパルトの道に倒れ込んだ。
 好期だ。再び逃げ出さないよう、素早く女の上に男は跨る。
 乱暴に、女をうつ伏せから仰向けに。自分の顔を見ろとでもいうかのように、胸倉を掴み自分の顔に引き寄せた。

「ちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろちょろ逃げんじゃねぇよ!!
 虫が!!!あ゛ぁ!!!刺させろってんだから刺させろよ!!!!弱っちくて脆い癖に生きようとしてよ!!!!
 さっきまで、疲れ切った死にてぇって顔しやがってたのによ!!!!自分勝手だなぁぁぁああああああ!!!!
 死にたいなら殺してやるってんだよ!!!!俺はなぁ、人間なんぞ大っ嫌いだぁぁああああああぁぁああああああ!!!!!」

 意味がわからない。理解不能。
 男の勝手なイラつきが、楽しみが、興奮が湧き上がり、混ざり合う。
 自分でも形容しがたいその感情が、狙う理由を気まぐれから彼女の自業自得だ、と自分勝手に変えていた。
 何とも愚かで、救いようのない、可笑しくも哀れな男であろうか。
 しかし。その男を馬鹿にするような言葉の数々など、いまの女の頭には浮かばない。
 恐怖だけで縛られている頭には浮かぶことが出来ない。浮かぶ余裕がない。
「さぁ! さぁ! さぁ! 何処を刺してやるかぁぁあああ!!!!」
 包丁の先を女に向け、理性の無くした目で女の身体を隅々まで舐めるように見る男。
 その間、女は必死に抵抗していた。手で、正気ではない男を持てる力で押し返す。足をバタつかせ、逃れる隙を作ろうとする。
 だが、適うわけがない。ひ弱で非力な男なら何とか出来ただろうが、相手は日々殺人のために身体を鍛えている男だ。
 押してもびくともしない。身体を動かし続けるも、体制が少しでも変わることは無い。
 力では敵わない。敵うはずがない。
 自分が何をやったんだ。止めてくれ、夢であってくれ、と女が願ったその時。
 男の目が一点に集中した。
「心臓!心臓がいい!切って切って切って血を!血がぶひゃぁぁ!ってな!!」
 もう逃げられないのか。助からないのか。女の顔が絶望に変わる。
 いまだに叫んで抵抗する女を片手で道に押し付け、男は包丁を持つ腕を持ち上げた。
 左胸───、心臓に狙いを定める。
「やぁぁああああああ!!!!」
 血を。真っ赤な血を。心臓を。刺して、鼓動を止めて、刃を赤く染めろ、と。
 最高な感情が力を増幅させる。腕に力を集中させる。そして―――、いまだと思った瞬間。
 雨と共に女の心臓目掛けてその鋭い、煌めく刃を。
 真っ直ぐに落とした───―。
「死ねぇぇええええええええ!!!!」





「―――――せェ」


 包丁が――――、消えた。
「……はれ?」
 突然。振り落すまでの、秒にも満たないコンマの世界で。
 女の心臓を目掛け、振り落とした男の手から。血に染まるはずであったその手から、銀に輝く刃が消えた。
 何が起きたのか。何度も握ったり、開いたりを繰り返すも、そこには物を持っている感覚が一切無い。
 あるのは、肌が合わさる感覚。そして、何故かいきなりと襲い掛かってきた強烈な痛みと痺れ。
 訳が分からない。一体何なのだ、と。頭が混乱する中、幽かにだが、雨の中で何か落ちる音を耳が拾った。
 音の方へ視線を向ける。銀に光るもの。そこには、先ほどまで握っていた筈の包丁が転がっていた。
 どうして? 握っていた包丁は間違えなく、いま道に落ちたもの。だが、何故そこにある?
 まさか。誰かが邪魔したのか、と。四方八方、雨を落とす天までもをその見開いた目で見渡すが、誰も見当たらない。
 ……否。確かに、〝人は見当たらなかった〟。
「……?」
 その時。男は視野に何かを捕えた。
 目線を下に落とす。改めて目に映ったのは、雨に打たれる道に転がっている―――傘。
 綺麗に畳まれている藍色の傘。新品なのか、値段が高かったのか。
 傘は水はけが良く、見るからに丈夫そうで、安物の傘ように濡れて深い色へ変化してしまう様子もない。
 そして。何よりも目が引くのは、傘のサイズだ。それは普通のものよりも一回り……いや、二回り程大きいと見て思える。
 ……同時に、男は気付く。
 その傘は、明らかに〝女のものではない〟、と───
「……!!?」
 視線を再び上げた。そして、その目はまた、別のものを捕える。
 女の近くに転がっている、もう一つの――――、
 もう一本ある―――――『傘』を……。
 女の近くに転がる、〝女ものも傘〟を――――。
 そんな馬鹿な、と身体が焦る。信じられない。認められない。
 だが、この転がっている二本の傘が、いまの状況の理由を、突然の出来事の原因を物語る。
 藍色の傘は自分のものでも、女のものでもない。
〝『第三者』のものだと〟────
〝第三者がそれで阻止したのだと〟───

「!!? だれッ――――――!!!!???」

 次の瞬間、男の身体は飛んだ───!

「!!??!!」
 突然、襲い掛かってきた鋭い痛みと衝撃。「誰だ」と。最後まで言わせることも無く、男の身体は強制的に女の上から吹っ飛ばされた。
 一瞬の出来事。何がなんなのか、全く理解することのできない状況に、頭の中で驚きと謎が混ざり合っていく。
 同時に刹那の、宙を飛ぶような感覚が男を襲う。その後、そのまま身体は重力に従い、アスファルトの道を無様に転がっていく。
 何度も、濡れた道に転がり打つ男の身体。やがて勢いを失い止まったも、身体中とあちらこちらに打った時の痛みが残る。
 何が起きた――――?
 しかし。男は痛みなど気にしていなかった。気にしていられなかった。
 身体に受けた鋭い痛みも。叩きつけられた痛みよりも。
 「どうして、自分はこうなっているのか」という気持ちに、この瞬間の身体は全て支配されていた。
「オイ」
 その時。声が聞えた。
 誰か来たのか。いまの瞬間を目撃されたのか。
 それならば、殺そう。こんな無様な姿を、人間如きに見られて生かして返すわけにはいかない。
 混乱している状態でも、すぐに「消す」「殺す」の選択肢を思い立ち、身体を起き上がらせようと力を入れる。
 ……が。力を入れた時、一つの疑問が頭を過ぎった。
 今の声……、〝可笑しいぞ〟――――?
 向けられた声。それは普通に……、〝ただ呼びかけたような声で〟。
 男と女が二人して派手に転んでいる状況なのに。それに対する驚きを全く感じさせない声で。女を心配する様子も無い声で。
 真っ直ぐに、一切のブレも無く。その声は男へと向けられていた。
 腕に力を入れる。何回か滑って失敗しながらも、男は痛みを無視して身体をゆっくりと起こした。
 誰がそこにいるのか。誰がそんな可笑しな声を向けたのか。
 多少、まだ目の回った状態で人物を突き止める為に、その歪んだ顔を上げた。

 そこには、先ほどまでこの場にいなかった人物が一人。
 ずぶ濡れ状態の、着なれたであろうフード付きの服を着た男が。
 その長身によって、高い位置から男を静かに見下ろす存在が。

「てめェか。さっきから気持ちわりィ殺気ばっか出してんのは―――」

 金色の『光』と、黒色の『闇』を髪に持つ者が───

 仁樹が立っていた───。








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