神と罪のカルマ2 『辛い』ディナーを召し上がれforth【02】



「なかなか飼い主見つかんねェなァ」
 公園で不良をシメた日から数日。ある日の朋音との朝食で仲間内の課題である『捨て猫の飼い主探し』について現在の状況を話し合っていた。
 結果は、仁樹の言葉からしていまもなお惨敗である。
「う~ん。頑張っているんだけどな~」
 眠そうな顔をしながら、朋音はスクランブルエッグを一口、口へと運ぶ。

 朋音は朝に弱い。その為、出勤時間の早い仁樹は同棲を始めたころに「起きなくていい」とは言っていたのだが、これについて朋音がどうしても譲らなかった。
「少しでも一緒に過ごす時間が欲しい」
 愛しい人にそう言われてしまえば、仁樹はもう折れるしかない。故に、この決まりごとができた。その代わり、夜は非常事態ではない限り無理をして起きないことを約束した。そして、朋音はその約束を忠実に守っている。自分が起きられない代わりに、夜遅くに帰ってくる彼に〝サプライズ〟を残して。

「でも、大丈夫。絶対、見つかる」
「そうだよな。諦めずに頑張れば見つかるよな」
 困難なことは始めから分かっていた。それでも二人は必ず見つかると信じている。
 見方によっては無責任かもしれない。見つかるわけないだろう、と周りから厳しい言葉が飛んでくるかもしれない。保健所行きになってしまうかもしれない。―――しかし、二人はそんな最悪な結果ではなく、飼い主が見つかるという、『最高の結果』の未来しか考えていなかった。
 ――あの時だって、〝本当は〟見つかったんだ。
 朋音がそう考えられるのは彼女の性格から納得できるであろう。一方、仁樹については彼の経験からそう考えられるのだ。
『あの時』。その時間は今から然程遠く無く、けれども今の自分と考え方が全く異なっていた自分がいた過去。その時代の仁樹が、いま現代の仁樹の考えを聞いたらきっと驚くであろう――いや、驚きを通り越すして嫌悪感を抱くかもしれない。
 何せ、『あの時』に言い争っていた朋音とまさか一緒に暮らしていて、それも『恋人』としてお互いに想い合っているのだから目を見開くどころか、不機嫌になって眉間に皺を寄せてしまうのではないだろうか。
 ――いま考えれば、下らないことだったのかもしれねェな。
『あの時』の自分はあまりにも彼女に対する態度が酷かった。酷過ぎた。それはもう、過去に戻れるのならば今すぐその頭を鷲掴みにして彼女へと謝りたいぐらいである。いまでも偶に思い出しては自己嫌悪に陥る時があるが、そんな姿を見て朋音は笑いながら、
「大丈夫だよ、気にしないで。寧ろ、思ったことを真っ直ぐ言ってくれたおかげで私は成長することができたんだから」
と、言ってくれるものだから、仁樹は益々彼女に勝てないと思ってしまう。
 本当に――、あまりにも〝下らない〟ものであった。
 当時はそう思えなかったが、数年経って成長した仁樹はそう思うことができる。『あの時』、もっと『素直』に彼女と接していれば良かったのだ。『そんなもの』に捕らわれずに、彼女の『真っ直ぐな言葉』をちゃんと受け取って。そうすれば、もっと早い段階で仲良く過ごせたものを。本当に勿体無いことをした、と仁樹は思う。
 だからこそ、いま彼女と過ごせるこの時間を大切にしようと彼は思うのだ。
「だけど、早いうちに見つけねェと博士の命が危ねェな」
「そうだね!全力で見つけよう!」
 目をパッチリ開けて、グッと力強く手を握る朋音に、仁樹は「そうだな」と笑った。


「戸締り頼むな」
「うん。今日もお互いに頑張りましょう」
 朝の朝食を済ませ、それぞれ出勤の準備をする中で仁樹が一足先に玄関へと出た。扉を開け、見送りにきてくれた朋音の方へ振り返り、お互いに唇を合わせる。
 所謂、いってらっしゃいのキス。お互いに付き合ってから離れる際は必ず行っている。恥ずかし気も無く行うこの行為については、周りからの評価は二つ。微笑ましく見られるか、「よく続くなぁ」と呆れられるか。しかし、二人にとってはもう日常の出来事であり、相手に愛を伝える大切な行為である。だから、今日も忘れずに、自然に行うのだ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
 離れた唇をもう一度合わせる。そして、少し名残惜しくも仕事に行かなければ、と彼女を一度抱きしめてから階段を下った。
 優しい彼女の笑顔に見送られ、「今日も頑張ろう」と顔をあげながら。

「今日も朝からラブラブじゃないか」
 階段を下ってアパートからに出た瞬間、仁樹は声を掛けられた。男の声だ。それも朋音との関係を知っているかのような口振り。振り向いてその声の主を確認すると、仁樹はとても珍しそうな目をその人物に向けた。
「暁先生、久しぶりッスね。おはようございます」
「あぁ、おはよう。同じアパートの住民でありながらも直接会うのは久しぶりだな」
 仁樹から珍しそうな目で見られた暁、と呼ばれた男。真夏の朝でありながらも崩すことなく着こなしている着物の暁と袖に腕を通して塀に寄りかかっていた。そして、珍しそうな声を上げた彼に満足したような笑みを浮かべ、左顔の付近にてリボンで結ばれた三つ編みを揺らしながら挨拶を返す。
「『音』では毎日会っているんだがな」
 愉快に笑う彼に対して『音』という単語に、ははっ、と仁樹は乾いた笑い声を溢した。

 彼らの住むアパート、『ブオナジョルナータ』は二つの民族が住んでいる。正確には全員同じ人種の民族なのだが、仁樹が勝手に命名した民族たちがこのアパートには住んでいる。
 一階には大家さんが経営する喫茶店があり、二階から二部屋ずつある計六部屋の四階建てアパート。二階の一部屋には大家さんが住んでいて、三階に空きが一部屋、そして四階に仁樹と朋音の自室がある。ここまで述べた部屋は全て入口正面から見て右側の部屋であり、反対の左側の部屋全てには、暁を含めて三人がそれぞれ住んでいる。
 そして、彼らの仕事柄上または生活面から、仁樹は三人を纏めてこのように命名した。
『深夜族』、または『夜型民族』、と―――。
「いやぁ、土下座した甲斐があったというものだ。おかげで時間を見て睡眠を取れるようになった」
「土下座したって言っても、先生だけは率先したにも関わらず他の二人みたいに必死じゃなかったじゃないッスか」
「そうか?俺も必死だったと思うぞ?」
 顎に手を当て、さもあの時は必死だったかのように三つ編みを揺らしながら首を傾げた。

 確かに、彼を含めて三人に土下座されて頼まれたのだ。帰ってきたらノックをしていってくれ、と。
 職業上、職場は自宅であり、仕事に熱が入り過ぎて彼らは時間を見ることを忘れてしまう。酷い場合、彼らにとって貴重な睡眠を忘れてしまう程に。それを改善するために思いついた方法は仁樹にノックをしてもらうことだった。
 つまり、仁樹のノックは彼らに時間を見れとの合図である。
 最初は「目覚まし時計とか掛けろよ!」と断っていたのだが、大家さんの鶴の一声にやられて承諾。
 アパートの住人同士協力しろ、とのことだ。
 こうして深夜族の巻き添えを喰らい、毎日帰ってくる度に彼らの部屋をノックしていくのである。

「俺の気のせいでなければ、なんか一人だけ余裕のある土下座でしたよね」
 今でも思い出すことのできる土下座の風景。必死にノックを頼んで来る二人へ中々首を縦に振らなかった仁樹に、今と同じように顎に手を当てた暁が「ふむ」と溢した後に、「では、土下座すれば了承してくれるか?」と言って、膝を床に付けたこと。しかし、その土下座には二人のような必死さなどまるで感じられず、余裕のある、そして何処か優雅に見える土下座であったことを仁樹は清明に覚えている。
「気のせいだろう」
「そうスッか」
 しかし、そんな仁樹の言葉など彼には意味をなさない。どうやらこの会話は諦めるしかないみたいだ、と早々に仁樹は悟った。
「あと朝の挨拶をして貰って悪いのだが、俺にとってはいま『おやすみ』なんだ」
「俺、昨日ノックした意味何だったんスか?」
「仕方がない。締め切り前だったんだ」
「そうスッか……」
 自由過ぎる。愉快に笑う彼に思わず溜息を溢してしまう。
「こらこら。幸せが逃げるぞ」
「逃がしてるのは誰ッスか?」
「俺だな。まぁ、このまま立ち話していては君は遅刻してしまうだろう。俺は寝る前に散歩をしようと思ってな。どうだ、途中まで一緒に歩かないか?」
 提案しているにも関わらず、彼の足は既に動いている。答えられる前から、一緒に歩くことは決定されているようだ。
 ――いい人なんだが、朝から疲れるなァ。
今度は頭を押さえてしまった。
 だが、決して一緒に歩くことは嫌ではない。苦笑いを溢しながらもマイペースに歩く彼に追いつき、隣を歩く。
「ところで、雅治は元気か?」
「相変わらず奥さんと料理に全力を捧げているッスよ」
「そんなに気を使った言い方をしなくてもいい。どうせいつもと同じ、暴力の化身一歩手前になっているんだろう」
 それとも既に暴力の化身になってしまったか?、と笑って問いかけてくる。
「親友に容赦無いッスね」
「容赦なく言えるのも親友だろう?死線を共に潜り抜けることができる者だけが友では無いさ」
 そういうものなのだろうか。袖から取り出した扇子を仰ぐ暁の言葉に仁樹は考える。
「『【容赦無い】。控えめの無い、遠慮や情による手加減が無い様、情け容赦がないさまなどを表現する語』……」
「お? 悪癖が出たな」
「うッ……。でも、『説明』じゃなくて一人言だからいいじゃないッスか」
 仁樹の悪癖、『説明の際に、辞典の文をそのまま言う』。この悪癖は子ども、特に勉強熱心な自身の弟とは相性が悪い。気を付けていてもつい出してしまった時は、灯真が首を傾げながら必死に彼の言葉を理解しようとしてしまう。そんな時は周りがフォローしてくれるのだが、それでも何とかしなければならない癖であると思っている。
「いいや。例え説明でなくても、俺は『容赦無く』指摘するぞ。そうすれば早く治るかもしれんしな」
「まさに容赦無いッスね……」
 ただこの人は俺で楽しんでいるだけではないのか、と愉快に笑う彼に疑いの目を向ける。しかし、彼はそんな目など気にしない。扇子を仰ぎ、三つ編みを小さく揺らしながら口を開いた。
「全ては受け取る相手次第さ。第三者から見れば酷いと思われる容赦ない会話でも、当人たちが気にしていなければそれでいい。しかし、当人たちの内どちらかが不快に思ってしまえばその関係は複雑なものになる」
傷ついた者が歯向かうならまだいい方だ。これを我慢という方向で解決してしまうと疎遠、最悪友の縁を切られてしまうだろう。
「言葉といい、心といい、関係といい。人間って本当に複雑ッスよねェ」
「複雑だからこそ、面白いんだろう。俺はこんな複雑の世界で容赦無く言葉を伝えられる友に出会えたことを誇りに思うぞ」
 勿論、言い過ぎるのは良く無いが、と気まぐれに顔の前で扇子が仰がれた。僅かな風が仁樹の顔を涼しく撫でる。
「何せあいつは言葉よりも蹴りが飛んでくる。毎度避けられる保証はないからな」
「遊ばなければいいんじゃないッスか?」
「俺があいつで遊ぶ?そんな馬鹿な?」
 演技かかった惚け顔。仁樹はとうとう頭を押さえることも、溜息を付くこともしなかった。つまり、もう何も言わなかった。
 ……が、ただこのような会話を彼と行った時、いつも仁樹は思うことがある。
 ――先輩と先生って、なんで親友になれたんだ?
 もし、過去に戻れるならばついでに見ていきたいと思う『時』だな、と頭を掻きながら見事に朝から晴れ渡った空を仰った。








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